もみじ葉の 日暮れて黒き 遍路道
梅士 Baishi
今日も冬の高気圧に覆われて、良い天気のようである。
今朝は全身が歩き疲れている。
ちょっと紅葉狩りにと出かけた遍路道であったが、つ
いつい足を伸ばして道なき道を越え、萩尾という集落に
たどり着いたのは既に4時半だった。
既に4時間近く歩いている。
「笹栗→オアシス→巡礼ルートから観音滝?→戻って再
び寺の裏道から老人ホーム→ 再び巡礼の山道→ 樹芸の
森展望台→ 樹芸の森の遊歩道→ 道が途切れる!
・・・ →道なき道の倒木を乗り越えてなんとか車道へ →
萩尾の部落→ 萩尾の神社」というコースであった。
夕暮れの萩尾集落には萩尾分校という小学校がある。
その子供たちが数名連なって帰っていた。
遠くから、「こんにちわ~」と挨拶するのだ。
訪問者が珍しいのだろうか。
汚染されていない子供たちだと思った。
すでにへとへとだったが、集落の中心部まで行けばバ
スがあるかもしれないと期待して足を引きずった。
大きな字でとても見やすい時刻表があった。
一日二本、最終便はとっくに過ぎた午後2時頃だった。
その向こうに、集落の地神と思われる神社が見えた。
鳥居をくぐると、一段下に薄暗い横穴のような社の広
場があった。
そこで、落ち葉をかき集めている人がいる。
いかにも妖怪世界の雰囲気で、砂かけ婆ではないかと
おそるおそる覗き込んだところで声をかけられた。
「どちらさまですか・・・」
「あ、いや、通りがかったものですから」
「もう帰ろうかなと思っていたところでしたからね」
落ち葉がこんもり富士山のよう積まれている。
「古い神社なんですか」
「そうですね。もう百年ほどになりますか」
ああ、新しい神社なんだ・・・。
「ここは霊験あらたかで、白なますが治ったという人
の奉納額があるんですよ」
白なますというのは原因不明の皮膚病だが、幸福の科
学によると、白蛇の憑依だという話がかつてあったよう
に思う。
山神が祭られているのだろうか。
もっとも、オロナインで治ると言う話も聴いたが。
11月26日(土)は、豊穣感謝祭があるという。
大晦日には午前零時から1時過ぎまで、お神酒がふる
まわれるからよかったら来てくださいとも。
大晦日は長崎である。
しかし、近くに遍路宿があるらしい。
一度は、泊まってみたい。
滅多に知らない人とは話さないのだが、少しほっとす
る夕暮れだった。
砂かけ婆だなんて、失礼いたしました。
昔からの巫女さんというべきでしたね。
もう日暮れだから急いで帰らないといけませんねえと
言われて、迫りくる夕暮れが急に不安になった。
道路はあるが、バスもタクシーもない遍路コースであ
る。
遍路道とは歩くほかはない道でもある。
さらに鞭打って歩いた。
紅葉の滝は既に薄暗かった。
鳴淵ダムを越えて横尾の駅に着いたのは5時半だった。
しかも、この駅は高架橋の駅である。
ビルの5階分を上り詰めて止まり木のようなホームに
たどり着く。
15分後、気まぐれに止まったかのような猫電車を取
り押さえて駆け込み、地球人の町に戻ることができた。
もし、この町が中国人の町になってしまったならば、
妖怪と一緒でも山に住むほうがよい。
しかし、中国人は山にも押し寄せてくるだろう。
中国人が、地球人とは異質の人類に思えてならない。
愛国心がなければ、日本は地球人の町ではなくなるだ
ろう。
何とかしなければならないと思う。
【 不安と希望の時代 】
現代は不安の時代である。
多くの人々が何を目指して良いのかが分からない時代、
競争原理の弱肉強食化の時代、人が何を考えているの
かが分からない疑心暗鬼の時代なのではないか。
大きな原因は三つある。
1.文明の衝突による所属の不安定
2.宗教の風化による唯物観の蔓延(実存主義)
3.希望であるエル・カンターレ文明の胎動への無理解
異文化への無理解は紛争の原因となる。
異文化への距離感を誤ると大きなストレスを生む。
文明転換期における激動の時代に心すべきことだ。
日本は中国に接近しすぎていることが不幸の原因とな
っている。
人間の生命エネルギーは希望と安らぎである。
生命エネルギーは信仰に源を発する。
実存主義ないし社会主義・共産主義に代表される唯物
的偶然論には希望と言う発展的ベクトルも安らぎと言う
調和の原理も見出せない。
左翼思想ないし実存主義とは、孤独と不安の人生観に
ほかならない。
希望を見る眼力、これを信仰というのだ。
信仰も希望もないのでは闇であり、試練は悪夢そのも
のになる。
偶然に降りかかるのが試練であるならば、まさに理不
尽、希望のない暗澹たる状態にほかなるまい。
日本はこれから更なる試練を迎えるだろう。
その引き金が、ロシアンルーレットのように、カチン
と引かれているのだ。
エル・カンターレ降臨の国日本にありながら、この巨
大な希望の光に気がつかないでは試練の意味がない。
希望こそは、不安という闇を雲散霧消させる光に他な
らない。
不安のうちに苦しむ若者よ、才能に鬱屈した若者たち
よ、希望に気づけ!
エル・カンターレの法門を叩け!
門は開かれ、希望の光がさし込んでくるであろう。
やがて、希望とは使命であると気がつくのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi