いきなり地図から。
地図を見ていて「『理想郷の碑』って何だろう?」と思い、自宅からも割と近い所だったので、ちょっと行ってみました。
場所は、「本通公園」という、住宅街の一角にある、割と大きな公園。
ありましたありました。
何が書いてあるのかな・・・。
何が書いてあるのかなと思い、読んでみました。
要約すると、こういうことのようです。
・昭和30年代、都市の郊外に向けた無秩序な開発、所謂「スプロール現象」により、↑の地図付近では農業経営が圧迫されていました。
・昭和45年(1970年)5月、「農業法」の一部改正を契機に、農村と都市との調和を図るべく、「農村住宅団地建設計画推進事業」が政策として取り上げられるに至りました。
・これを受け、地元の農業協同組合は、積極的に都市化対応政策を進め、同47年(1972年)2月、この地域が、全国でも数少ない「農住計画推進地域」に選定され、農協が地域社会建設計画に本格的に参画することとなりました。
・この事業が、各方面の期待に応え所期の成果を収めたことに感謝し、新しい街が、末永く平和であることを祈願します。
(以上、農協の文章)
・同48年(1973年)7月、ここに完成した新市街地は、北海道から土地区画整理組合設立認可を受け、幾多の困難に直面するも、国、北海道、函館市の手厚い助成や指導を受け、私たちの理想郷建設への願望がそれと協調したことが、事業成功の大きな要因となった。
・新しくこの街に住まれる人々の限りない幸せを祈ります。
(以上、土地区画整理組合の文章)
函館市の歴史に関する資料には、出てきても小さく取り上げられる程度の出来事かもしれないけれど、一つの地域と言う単位で考えればものすごく重要な意味合いを持つ出来事なわけで、例えば地域の小学校とかでこういうテーマを取り上げ、それがきっかけで、地域の歴史に興味を持つお子さんが増えていけば大変素晴らしいことだなと思いました。
有名な歴史スポットだけでなく、こういうスポットの開拓も面白いと認識させられました。
「農村住宅」、略して「農住」という地域の歴史が、こうして電柱にも残されています。
バス停にも残されています。
件の碑もさることながら、こういうところから「『農住』って何?」みたいな感じで、地域のお子さんたちが興味を示していければ、とてもよいことだと思います。