通称「漁火(いさりび)通」とも言う、函館市内の国道278号沿い、「大森浜」と呼ばれる海岸近くに整備された場所にあるこちらの像。
以前にも何度か紹介していましたが、「死ぬときは函館で死にたい」という言葉を残したほど函館をこよなく愛した歌人、石川啄木の像。
函館市内だけでなく、道内各地に印象的な作品が多く存在する彫刻家、「本郷新」氏の作です。
この像があるこの場所は「啄木小公園」という名前で、「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ 今年も咲けるや」という歌が刻まれています。
1958年に啄木像が寄贈され、1977年には公園区域がさらに拡張・整備されました。
歌にもあるハマナスをはじめ、季節ごとに綺麗な花が咲き、啄木自身がこの浜の海と砂浜を愛し、好んで散策した様子を偲び、思いを感じ取ることができる場所となっています。
青空に映える青い海。
この場所を愛した啄木の思いが伝わってくるようです。
このように晴れたときには、対岸の青森県大間方面をしっかりと見ることができます。
先程のとは別の歌碑が建っていました。
「眠ゐし君に捧ぐべき 矢車草の花もなく ひとり佇む五月寒 立待岬の波静か おもひでの砂ただひかる」という歌で、「かなりあ」「お月さん」「お山の大将」などの童謡作品で知られる「西條八十」が、1958年に函館を訪れた際に、啄木に捧げる歌として詠んだ歌です。
そしてもう一つ歌碑があります。
これは、「片平庸人(つねと)」という民謡詩人の歌で、
「北の海に にび色に かびろく 雲ひくく まろし砂丘 見かぎり 茫々 餓えがらす そが雪の上 ただ あるく ばッさ ばッさ ナ」
と刻まれています。
啄木とは直接の接点はなく、大の酒好きで、酔って冬の冷たい大森浜に降りてしまい、事故で亡くなったというエピソードが残されています。
啄木小公園の隣には、惜しまれつつも10月末をもって閉館した「土方・啄木浪漫館」という建物があって、その敷地の一角にも、啄木の歌集「一握の砂」にある歌が刻まれている歌碑があります。
「砂山の 砂に腹這ひ初恋 のいたみを遠くおもひ出づる日」という歌。
またまた「砂山」という言葉が出てきましたが、かつてはこの付近一帯に砂山が広がっており、「大森浜」という名前は、「砂が大きく盛り上がる」様子から付けられたとされています。