昨日の記事の最後に載せたこちらの写真。
高田屋嘉兵衛像の側、「護国神社坂」の下にある「千秋庵総本家 宝来町本店」。
「千秋庵」というと、「山親爺」という洋風煎餅が有名で、先日、Snow Manのコンサートが札幌で開催された際には、名前が似ている「ノースマン」というお菓子が大変な売れ行きを記録したなんてニュースでも話題になりましたが、実はそのルーツは函館でして、1860年、秋田藩士だった「佐々木吉兵衛」という人物が、箱館に渡って菓子販売を始めたのが出発点とされています。
その後、1912年に「小樽千秋庵」(現在は廃業)、1921年には、現在の「千秋庵製菓株式会社」である「札幌千秋庵」が開業し、このことから、「千秋庵」といえば札幌の銘菓というイメージが定着するようになったと言われています。
あまりにも有名な「山親爺」。
Snow Man効果で売れ行きが伸びた「ノースマン」。
皆様も、北海道にお越しの際は、ぜひご賞味ください。
というわけで、ここから、昨日の記事の続き。
先程の「千秋庵総本家」が、「六花亭」のルーツに繋がるということを書いていました。
このことは道民の間でも意外に知られていないように思うのですが、「札幌千秋庵」の開業から12年後の、1933年、十勝帯広において「帯広千秋庵」が新たに開業しました。
この会社は、帯広を代表するお菓子ブランドとして徐々に規模と人気を拡大していきましたが、1977年、東大寺管長であった「清水公照老師」の命名で「六花亭」と商号変更されました。
「六花」とは、雪の結晶を意味しているとされ、「北海道を代表する菓子屋になるように」という願いを込めて、北海道の代名詞とも言える雪に因んで名づけられたのだそうです。
そして、これらの独立店舗がそれぞれの地に浸透し、人気を高めたことから、函館の千秋庵は、現在でも「千秋庵総本家」という名前で営業を続けているのです。
実は「千秋庵総本家」は、先程の「宝来町本店」の他にもいくつか店舗がありまして、そのうちの1つ、「本通店」に、今回初めて入ってみました。
「山親爺」のコーナーがあります。
その横には、昔の店舗の写真が。
創業から26年後の1886年(明治19年)の店舗。
1907年(明治40年)、当時の総戸数23,000戸中12,000戸が焼失した大火の後に復旧された店舗の写真。
そして、大正から昭和にかけての店舗の写真。
これは大変貴重です。文化財的な意味合いもあるといってよいと思います。
今回はこちらを買いました。
中身は十勝は音更町産の小豆を用いたこしあんですが、ミルクあんもあります。
次回はそれを買ってみようと思います。