先日、ある方の日記にコメントを書き込みさせていただく中で、来年3月で、中学を卒業してから20周年になることに気付かされた。
中学3年生と言えば、そう、修学旅行。
行ったのは、開通したての青函トンネルを通って青森へ。
別に、そのことと、今回20年ぶりに青森に行ったこととは何の関係もないんだけど(ヲイ)、今回行った先で、唯一20年前にも行っていた場所を、今日は紹介します。
そう、弘前城です。
20年前の修学旅行も6月下旬だったので、ちょうど20年ぶりになります。
弘前城は、関東以北で唯一、天守が現存する城で、春は桜、夏は月、秋は楓、冬は雪と四季の妙なるたたずまいを見せる名城。
残念ながら、6月はちょうど花の時期からは外れていたので、綺麗な景色に巡り会うことはできませんでしたが。
弘前城は、はじめ鷹岡城と呼ばれた、津軽氏初代の為信公によって築城された城である。
津軽平野の平定を果たした為信は、慶長8年(1603年)幕府の許可を得て、当時「鷹岡」と呼ばれたこの地を築地として選び、慶長9年から築城工事にかかった。
やがて、二代藩主となった信枚が工事を続行し、慶長16年(1611年)に5月にこの新しい城に入ったと伝えられており、明治4年(1871年)に廃藩置県が実施されるまでの260年間、津軽氏代々の居城として、平和への十分な使命を果たしてきたとされている。
関東以北で唯一天守が現存する城ということは、今回色々と調べてみて初めてしったのだけど、そう言えば確かに、これまで訪れてきた幾つかの名城(松本城、名古屋城、大阪城、松江城、高知城、熊本城etc)って、どれも西日本ばかり。
そう考えると、これはなかなか凄いことなのかなと思ってしまいます。
天守の内部は、津軽藩の歴史にまつわる展示コーナーとなっていて、最上階まで階段で上がることができますが、この階段がまた急なこと。
別にこれは弘前城に限らず他の城もそうなんだけど、お城自体が久しぶりなので、余計それが印象に残りました。
当日は、曇りのち雨の事前予報を見事に覆しての晴天&蒸し暑さ。
それだけに、城をはじめとする公園内部を歩いているだけでかなり体力を消耗してしまいましたが、20年ぶりに見た勇壮な姿に、終始心を奪われっぱなしでした。
次の城探訪は、来月、同じ東北は福島の鶴ヶ城の予定。
ロケ地巡りがメインだけど、城本体の方もしっかりと楽しんできますよ。
中学3年生と言えば、そう、修学旅行。
行ったのは、開通したての青函トンネルを通って青森へ。
別に、そのことと、今回20年ぶりに青森に行ったこととは何の関係もないんだけど(ヲイ)、今回行った先で、唯一20年前にも行っていた場所を、今日は紹介します。
そう、弘前城です。
20年前の修学旅行も6月下旬だったので、ちょうど20年ぶりになります。
弘前城は、関東以北で唯一、天守が現存する城で、春は桜、夏は月、秋は楓、冬は雪と四季の妙なるたたずまいを見せる名城。
残念ながら、6月はちょうど花の時期からは外れていたので、綺麗な景色に巡り会うことはできませんでしたが。
弘前城は、はじめ鷹岡城と呼ばれた、津軽氏初代の為信公によって築城された城である。
津軽平野の平定を果たした為信は、慶長8年(1603年)幕府の許可を得て、当時「鷹岡」と呼ばれたこの地を築地として選び、慶長9年から築城工事にかかった。
やがて、二代藩主となった信枚が工事を続行し、慶長16年(1611年)に5月にこの新しい城に入ったと伝えられており、明治4年(1871年)に廃藩置県が実施されるまでの260年間、津軽氏代々の居城として、平和への十分な使命を果たしてきたとされている。
関東以北で唯一天守が現存する城ということは、今回色々と調べてみて初めてしったのだけど、そう言えば確かに、これまで訪れてきた幾つかの名城(松本城、名古屋城、大阪城、松江城、高知城、熊本城etc)って、どれも西日本ばかり。
そう考えると、これはなかなか凄いことなのかなと思ってしまいます。
天守の内部は、津軽藩の歴史にまつわる展示コーナーとなっていて、最上階まで階段で上がることができますが、この階段がまた急なこと。
別にこれは弘前城に限らず他の城もそうなんだけど、お城自体が久しぶりなので、余計それが印象に残りました。
当日は、曇りのち雨の事前予報を見事に覆しての晴天&蒸し暑さ。
それだけに、城をはじめとする公園内部を歩いているだけでかなり体力を消耗してしまいましたが、20年ぶりに見た勇壮な姿に、終始心を奪われっぱなしでした。
次の城探訪は、来月、同じ東北は福島の鶴ヶ城の予定。
ロケ地巡りがメインだけど、城本体の方もしっかりと楽しんできますよ。