北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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屯田兵の足跡~1~

2018-09-22 15:36:28 | 札幌
テーマ「屯田兵はなぜ琴似に入植した?」





札幌市西区琴似エリアを小樽方面へ向かう幹線道路、道道「宮の沢北1条線」。
かつては札幌と函館を結ぶ一般国道5号の一区間だったこともあり、西区民の間では「旧5号線」で通用する区間。








そこから分岐して、JR琴似駅方面と向かう道路、通称「琴似本通」と呼ばれる道路があります。





少し進んだところに「西区役所」があるのだけど、そこに何やら、表示板が見えますね。





表示板にもあるとおり、この周辺が、明治7年(1884年)に、北海道初の屯田兵村が設置された場所なのです。

明治7年10月30日に「屯田兵例則」が制定され、以降明治32年(1899年)まで、道内各地に37の屯田兵村が設置されました。(正確には、琴似兵村の子弟として隣接する発寒地区に設置された発寒兵村を含む38箇所)
琴似地区が最初の入植地とされたのは、屯田兵を札幌本府(札幌市中心部)の防衛の任に就かせるという目的のもと、開拓使顧問ホーレス・ケプロンの進言により、本府に近く、交通・通信の要衝として適していると判断されたためとされています。
琴似に入植した屯田兵は、現在の宮城県に当たる亘理藩、福島県会津地方に当たる斗南藩、山形県の酒田、鶴岡方面に当たる庄内藩の出身で、明治8年(1875年)5月16日、開拓使御用船「通済丸」で小樽へ入り、翌月琴似にやってきたとされています。





この「屯田の森」には、屯田兵にまつわる石碑が多数建立されています。
一つ一つ見ていきましょう。





まずこれは、平成11年(1999年)に屯田兵の子孫有志によって設置された「琴似屯田兵顕彰碑」。
大正13年(1924年)、開村50年を記念して、現在地の向かいにある「琴似神社」に「琴似兵村五十年記念塔」が設置されましたが、これが老朽化によって取り壊されたのち、屯田兵の偉業を後世に伝えるべく、この碑が設置されました。





「屯田兵本部趾」。
先述した「記念塔」と同じく、開村50年を記念して大正13年に設置されたものです。
その「屯田兵本部」は、この森と同じ敷地内にある現在の西消防署琴似出張所付近に設置されたとされています。





これは、ちょっと読めないのだけど、「琴似屯田開村記念碑」という石碑で、屯田兵が琴似に入植し、その後「琴似村」として発展を遂げた足跡と屯田兵の功績を記念して、明治30年(1897年)、向かいにある「琴似神社」に設置されたものです。





これもちょっと読みにくいけど、「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」と書かれています。
琴似に設置された「第一中隊」と、現在の中央区山鼻と呼ばれるエリアに設置された「第二中隊」、北区新琴似に設置された「第三中隊」、同じく北区篠路に設置された「第四中隊」が、まとめて「第一大隊」とされていました。
「第一中隊」のあった場所は、森と同じ敷地内にある西区役所の付近とされています。





そして最後は、昭和50年(1975年)9月に、入植100年を記念して設置された碑です。








森と同じ敷地内にある「西区民センター」と、その裏にある「琴似小学校」。
ここには、有事に備えた訓練の場であった「練兵場」が設置されていました。

屯田兵の琴似入植の経緯をざっと書いてみましたが、実は私の祖先も、先述した亘理藩からこの地に入植してきました。
図書館で古い記録を読み、祖先が住み着いた場所も大体特定させることができましたが、そこはまた次の記事で。

「屯田の森」の場所はこちら
その向かいにある「琴似神社」と屯田兵に関する記事はこちら
コメント
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