先月中旬の厚岸町へのドライブでは、幾つかのスポットを回ってきたけれど、歴史スポット散策がメインだったので、まずはここへ行ってみました。
厚岸町の中心部から車で15分ほどの場所に、このようなスポットがありました。
先日の札幌帰省時にも屯田兵ゆかりの場所を見て来ましたが、屯田兵としてやってきた移民の子孫としては、入植場所こそ違えど、こういう場所の存在はどうしても気になってしまいます。
これがその兵屋。公開されていますが、一般の方の住宅敷地内を通るので、見学の際には、不用意な行動をせぬよう、細心の注意が必要です。
こちらは、兵屋の近くにある「太田屯田開拓記念館」。
「太田」という地名は、屯田兵村設置に尽力した「太田紋助」という人物の功績を称える意味で付けられたもので、1890年(明治23年)の道庁令によって「太田村」と戸長役場が設置され、現在の宮城県、山形県、新潟県、石川県、福井県、和歌山県、兵庫県、山口県から、440戸が屯田兵として入植してきました。
開拓目的もさることながら、日清戦争(1894年~1895年)において師団に編入され、東京で待機させられたり、日露戦争(1904年~1905年)においても召集令が出されたりしていたそうで、そうした太田地区の屯田兵の歴史に関する資料が多数展示されています。
記念館からも近い、「報国寺」という臨済宗のお寺。
ここに、太田紋助氏の墓碑が設置されています。
あまり立ち寄る人も少ないのかもしれませんが、地域の歴史を知る上では欠かせない場所と考えてよいと思います。
厚岸町の中心部から車で15分ほどの場所に、このようなスポットがありました。
先日の札幌帰省時にも屯田兵ゆかりの場所を見て来ましたが、屯田兵としてやってきた移民の子孫としては、入植場所こそ違えど、こういう場所の存在はどうしても気になってしまいます。
これがその兵屋。公開されていますが、一般の方の住宅敷地内を通るので、見学の際には、不用意な行動をせぬよう、細心の注意が必要です。
こちらは、兵屋の近くにある「太田屯田開拓記念館」。
「太田」という地名は、屯田兵村設置に尽力した「太田紋助」という人物の功績を称える意味で付けられたもので、1890年(明治23年)の道庁令によって「太田村」と戸長役場が設置され、現在の宮城県、山形県、新潟県、石川県、福井県、和歌山県、兵庫県、山口県から、440戸が屯田兵として入植してきました。
開拓目的もさることながら、日清戦争(1894年~1895年)において師団に編入され、東京で待機させられたり、日露戦争(1904年~1905年)においても召集令が出されたりしていたそうで、そうした太田地区の屯田兵の歴史に関する資料が多数展示されています。
記念館からも近い、「報国寺」という臨済宗のお寺。
ここに、太田紋助氏の墓碑が設置されています。
あまり立ち寄る人も少ないのかもしれませんが、地域の歴史を知る上では欠かせない場所と考えてよいと思います。