
御存知「幣舞橋」。
現在のこの橋は五代目で、昭和51年(1976年)11月26日に完成した、延長124m、幅33mの橋です。

実は、幣舞橋の歴史が分かるレリーフが設置されている場所があるので、紹介します。
まずは、幣舞橋の前身、明治22年(1889年)9月22日に完成した「愛北橋」。
延長216m、幅3.6mの橋です。
当時の釧路の中心市街地は、今の橋を渡った向こう側の米町地区でしたが、やがて釧路川を挟んだ向かい側においても市街地形成が進むようになり、釧路川を跨ぐ橋の建設を望む声が高まってきました。
しかし、当時の北海道庁は、財政難のため、橋の建設費用を拠出することができなかったことから、釧路に進出していた「愛北物産」という会社が橋を建設したものです。
会社の名前を取って名づけられた「愛北橋」は、釧路川に架けられた最初の橋で、当時としては、北海道で一番長い橋でした。

愛北物産は、橋の架設以後も、厳しい自然環境の中で傷みが増す中、多額の費用をかけて橋の維持管理をしてきましたが、明治31年(1898年)、ついに愛北橋は落橋してしまいました。
それから2年後、今度は国費により、新しい橋が架設され、明治33年(1900年)に完成。
それが、初代の「幣舞橋」。延長が203.4m、幅は4.2mです。
明治41年(1908年)1月21日には、釧路駅に降り立った石川啄木が、この橋を渡って、下宿先へと向かったとされています。

その初代幣舞橋は、架設から9年後の明治42年(1909年)に落橋してしまい、その年のうちに、新しい橋が誕生しました。
二代目の橋は、延長203.4m、幅4.5mで、簡易トラスという木組みを11連に繋げたものでしたが、寒波による結氷や春の増水による流木の衝突のため傷みが早く、落橋こそしませんでしたが、わずか6年で架け替えられることとなりました。

時代は変わって大正となり、大正4年(1915年)、三代目の幣舞橋が誕生しました。
初代と二代目は国費により架けられましたが、この三代目は、当時の釧路町が経費の一部を負担していました。
大正11年(1922年)には、当時の摂政宮殿下(後の昭和天皇)御来釧の折、人力車で渡られたというエピソードがあります。

そして、現在の橋の前身である四代目。
それまでは木橋でしたが、この四代目から永久橋に架け替えられました。
大正14年(1925年)から3年8ヶ月かけて工事が行われ、道内で初めて鉄筋コンクリートが使われ、優雅なアーチを描くヨーロッパ風のデザインであったことから、札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並んで、「北海道三大名橋」と謳われました。
延長は113mで、幅は18.3m。市街地の拡大により、延長は徐々に短くなり、車両通行量の増加により、逆に幅は拡くなっています。


これらのレリーフは、現在の幣舞橋の下の通路で見ることができます。