北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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銀ブラ

2019-06-11 20:09:49 | 道外旅行記

タイトルのとおり、「銀座をブラブラ」していて見つけた物を紹介します。

 

 

 

「銀座発祥の地」の碑。

こんなのがあったんですね。

そもそも「銀座」とは、銀貨を鋳造する役所のことで、この碑によると、慶弔17年(1612年)に、江戸幕府が、銀貨を鋳造する「銀座役所」を設置し、周辺の町名は「新両替町」とされるも、通称として「銀座」と呼称されたことから、明治2年(1869年)、「銀座」が正式な町名となったとのことです。

もっとも、そのときに「銀座」と称されたのは、現在の銀座1丁目から銀座4丁目までの一区画分だけで、現在の「銀座」全体の10分の1程度でしかなかったそうです。

お金を鋳造する「○座」という役所。そういえば函館にもありましたね。

 

(「銀座発祥の地碑」はこちら。)

 

 

 

これも町名になっている「京橋」という名前の付いた橋がありました。

 

 

かつて存在した「京橋」の記念碑。

「京橋川」という川に架けられていた橋で、かつては文化の拠点でもあったことから、現在においても地域名として使用されています。

元々は慶長年間(1596年~1614年)に架設された木橋で、明治8年(1875年)に石造りとして架け替えられ、昭和34年(1959年)の京橋川の埋立まで存在していました。

写真は、当時の橋に用いられていた親柱の一つなんだけど、実はすぐ近くにもう一つあるそうで、そうとは知らずに撮りそびれてしまいました。

相変わらずの詰めの甘さを反省しています・・・。

 

 

写真右の石造りの建造物は、明治7年(1874年)に設置されたガス灯のレプリカ。

 

 

そしてこれは、周辺の町づくりに用いられた煉瓦を称える碑。

明治5年(1872年)に発生した大火を契機に、明治政府は、道路幅の拡大を中心とする街路の整備と、煉瓦を主材料とする不燃性洋風建築物の建築を二本柱とする復興計画を立ち上げ、整備が進められました。

ガス灯も、そんな整備事業の一環として設置されたものということです。

 

 

「江戸歌舞伎発祥の地」という碑が建立されていました。

 

 

現在まで連綿と受け継がれる「中村勘三郎」の名が刻まれています。

「寛永元年」とは1624年で、「中橋」というのは、日本橋と京橋の間に架かっていた橋。そこに芝居小屋が設置され、大評判となったことが、江戸歌舞伎の発祥とされているとのことです。

 

(ここまで紹介した碑等の位置はこちら。)

コメント
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