北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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違いの分からない男 その20

2022-07-29 19:08:50 | 渡島・檜山地方

不定期にもほどがあるくらい忘れた頃に復活するこのシリーズ。

前回はこのときでしたが、今回で20に到達しました。

 

JR留萌線2段階で廃止 4市町に提案 沼田まで3年間存続も(NHK NEWS WEB)

 

ウーン、そうなんですね・・・。

もしそうなるなら乗りに行こうかなと思っていますが、先日、相互フォローしていただいている方のブログで、廃止が検討されている区間にある「峠下」駅が紹介されたとき、「峠下」という地名の由来について、次のような紹介がされていました。

 
 
 
「アイヌ語の 『ルチシ・ポク』(峠の下)に由来する地名で、石狩と天塩の堺付近の峠を指す」

 

図書館でアイヌ語由来の地名を紹介する本を読んだときに、「ルシチ山」=アイヌ語で「ル・チシ・ヌプリ」(峠の下にある山/路の中央に窪みのある山の二説)という解説があり、「ここでいう『峠』とは、駅の近くにある『恵比島峠』を指すという趣旨のことが書かれていたので、なるほどそういうことかと思っていましたが、五年前まで十年間道南地方で生活した経験から、ふとこんな疑問が。

 

「七飯町にも『峠下』という地名があるけれど、同じ由来なんだろうか?」

 

早速調べてみましたが、検索すると、七飯町の「峠下」は「アイヌ語の『ラン・ポク』(坂下の意味)に由来する」としか書かれていなかったので、「なのにどうして「坂下」じゃなく「峠下」なの?どういうこと?」と思って、図書館で、「北海道蝦夷語地名解」という本を読んでみたところ、こんなことが書いてありました。

 

「元々は『坂の下』だったのだけど、和人が『嶺の下』と呼んでいた」

 

これに関しては、かの松浦武四郎も「初航蝦夷日誌」の中で「峠ノ下・嶺下とも書いた。渡島地方南部、久根別川上流の函館平野北端に位置する。地名は大峠または長坂峠と称される峠の下に位置することによるという」と書き記しているそうで、更に七飯町史もにも目を通してみると、「明治元年(1868年)から百二十年前、南部人来往す。村落に高山あり。山下に村落を形成する故「峠下」とした」ということが書かれていました。

つまり、元々はアイヌの言葉で「ラン・ポク」と呼ばれていたのが、和人たちが、「坂」ではなく「峠」と言っていたことで、それがそのまま現在に至る地名になったということのようです。

同じ地名なのに、その場所によって由来に違いがあるというのも面白いものですね。

 

 

その七飯町峠下ですが、色々と調べてみて「えっ!?」と思ったことが一つ。

写真は、函館に住んでいた頃に撮った、国道5号沿いの「北海道昆布館」という施設で、このブログでも紹介したことがありましたが(こちら)、コロナ禍による客の減少の影響で、一昨年8月で閉館してしまったそうです。

また行きたかったんですけどね・・・残念です。

 

コメント (6)
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