北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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男爵薯の歴史

2024-07-03 20:14:04 | 渡島・檜山地方

 

「道の駅なないろ・ななえ」の隣、というか同じ敷地内に、もう一つ人気の高いスポットがあります。

「THE DANSHAKU LOUNGE」と書かれていますね・・・。

 

 

 

おやおや、こちらはジャガイモのモニュメントですね。

これはなかなかの存在感ですよ。

 

 

そう、「DANSHAKU」とは「男爵薯(いも)」のことでして、ここ七飯町が、その発祥の地なのです。

この建物は、その歴史を伝えるために建てられた「男爵記念館」というべき建物なのです。

 

 

「男爵薯」は、「川田龍吉」という、「男爵」の称号を持つ土佐藩出身の人物がルーツとなっています。

川田男爵は、イギリス留学で造船技術を学んだ後に帰国し、1906年に、函館ドック(現在の「函館どつく株式会社」)の専務取締役となり、隣接する七飯町に9町歩(約9ha)の農地を購入して「清香園」という自家農園を開きました。

そのとき、海外から購入して試験栽培した11種の品種の中の1つである「アイリッシュ・コブラー」という品種は、味もさることながら、病気に強いことが強みとなって近隣農家にも広がっていったことから、やがて七飯の農業会が、このジャガイモを共同で出荷することになりましたが、品種名が不明であったことから、川田男爵が育てた品種ということで「男爵薯」と命名され、全国に広まっていきました。

これが、現在に至る「男爵薯」誕生のきっかけとなっています。

 

 

館内には、当時作業に用いられていた農耕具が保管されています。

 

 

川田男爵と男爵薯にまつわるエピソードとしてもう一つ知られていることに、イギリス留学時に出会った「ジェニー」という女性とのロマンスがあります。

 

 

 

川田男爵は、イギリス留学時代、ジェニーと知り合って恋人となり、畑を眺めたり、温かいじゃがいもを食べたりすることを楽しんだりしていました。

二人の交際は順調に進み、やがて婚約にまで至りましたが、現在ではごく普通になっている国際結婚も当時はハードルが高く、父親の大反対で結婚は成立しませんでした。

二人のロマンスは結実しませんでしたが、川田男爵が亡くなってから数年後に発見された金庫の中で、金髪と、90通にも及ぶラブレターが保管されているのが発見されました。そのラブレターには、イギリスではキスマークを意味する「×」がたくさん記されていて、最大で156個もの「×」が記された手紙があったそうです。

函館~七飯と渡った川田男爵は、風景がイギリスに似ていたことから、ジェニーのことを思い出し、ジェニーと一緒に食べたじゃがいもをこの地で育て食べてみたいとの思いから、イギリスやアメリカから様々な種芋を取り寄せて試験栽培を行い、その中の「アイリッシュコブラー」という品種が北海道の地に一番適していたことから普及に努め、先程書いたとおり「男爵薯」と命名されて、全国へと広まっていきました。

 

 

これが、ジェニーとのラブレターが大切に保管されていたという金庫。

なんだかキュンとするものを感じます。

 

 

 

 

これは、「ロコモビル」という日本最古とされる車(蒸気自動車)で、1902年にアメリカから輸入された8台のうちの1台を、函館に渡る以前に横浜の船渠会社に勤務していた川田男爵が、当時の値段で2,500円で購入していました。

川田男爵はこれを北海道に持ち込み、自宅と男爵薯の農場との間の往来に使用したそうで、「国内最古の自家用乗用自動車」として機械遺産の認定を受けています。

 

 

 

道の駅で(ガラナの)ソフトクリームを頂いたので、こちらでは何も買いませんでしたが、こちらにも、魅力的なフードが揃っています。

次回は、ここでじゃがいものメニューを頂くことにします。

 

コメント (2)
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