浜中町茶内エリアの続き。
JR花咲線茶内駅へ着いたのは14時10分頃でしたが、釧路方面と根室方面の両方の普通列車が到着するまで30分ほどあったので、その間の時間潰しとして、駅前をちょこっとブラブラしてみました。
このサイロは何かな?
釧根地域、とりわけ浜中町を含む太平洋岸は、夏の間も気温がそれほど上がらないことから畑作は殆ど行われていないのが実情で、酪農が基幹産業となっていますが、開拓当初は、酪農ではなく畑作が主体だったんですね。
馬鈴薯に蕎麦に豆類ですか。それは知らなかったです。
ルパン、次元、峰不二子の三人もなかなか似合ってますね。
これは・・・、何かを祀っているのかな・・・?
うわあ・・・、そんなことがあったんですね。
何とも痛ましい話ですが、こうして慰霊施設が設置され、歴史が語り継がれていくというのは大変重要なことだと思います。
現在でも茶内エリアは、町内でも大きな集落ですが、当時は劇場があるほどの賑わいだったんですね。当時の写真があったらぜひ見てみたいです。
少し離れた所に、古い時代の鉄道車両が保存されています。
道路の開発が遅れていた北海道では、戦前から「殖民軌道」と呼ばれる、開拓のための軌道が国により敷設され、戦後は運営が自治体に委託され、「簡易軌道」として運行されていましたが、とりわけ釧根地域は、地盤が脆弱であったことから、釧路市、鶴居村、浜中町、別海町、標茶町に軌道網が張り巡らされていました。
昭和30年代に入り道路改良が進むと、簡易軌道は次々と廃止され、昭和47年(1972年)、茶内駅を起点としていた浜中町営軌道を最後に、全て姿を消す形となりました。
釧路市立博物館の監修で、そんな簡易軌道の歴史を纏めた書籍も発行されています。
これは、当時からあるものですかね・・・。
お、これはもしかして・・・。
そうです。先日紹介した霧多布エリアにある「ルパン三世通り」に続き、茶内エリアに、石川五ェ門の店が、茶内エリアに誕生したのです。
残るは銭形警部ですが、検索してみても、銭形警部の店は出てきません。設置計画はあるのかな・・・。