北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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大覚寺~2~

2021-08-02 20:20:27 | 札幌

 

「札幌市東区 大覚寺やって参りました」

って、「しあわせ散歩」でオクラホマ河野君は「に」を省略してるんだけど、字幕スーパーでは「◯◯にやって来ました」と「に」を略さずに表示されています。

「ら抜き言葉」のようなものなんでしょうけどね。

 

ということで、大覚寺編の第二弾。

紹介したいのは、写真の山門。

 

 

この大覚寺。お寺としての開教は明治37年(1904年)で、現在地へ移転したのは同40年(1907年)ですが、その後、大正11年(1920年)に建立されたこの山門は、北海道で最大と言われています。

ただ、このことについて、もう少し掘り下げて調べてみようと思ったのですが、どの資料を見ても、「北海道最大」とあるだけで、それ以上細かく記載された資料に出会えていません。

掘り下げてみると、もっと知られざるエピソードが色々と出てきそうな気がするのですが・・・。

 

 

 

山門に控える二体の金剛力士像。

しかし、所々白い色が目立っているのが気になりますね。

塗装の経年劣化でしょうかね・・・、何だか痛々しさすら感じてしまいます。

 

 

 

先程の山門。

横側や裏側から見ても、その大きさに圧倒されるものがあります。

まるで、京都や鎌倉にあるような古刹を訪れているかのようです。

 

 

 

境内には、道内では珍しいとされる「五百羅漢堂」が存在しています。

 

 

 

この大覚寺の山門は、接面する、かつて「元村街道」と呼ばれていた道路と共に、「さっぽろ・ふるさと文化百選」に選定されています。

 

 

今回はここで地図を貼り付けますが、「元村街道」とは、上の地図で「273」と表示されている道道のこと。

「元村」という地名は、本龍寺のところでも紹介した「大友亀太郎」が作った「御手作場(規範農場)」の隣接する場所に札幌新村が開村された際、その御手作場が、幾つかの名称を経て「札幌元村」と改称されたことに端を発すると言われています(明治3年(1870年)頃)。

 

 

資料によって微妙に違いがあるようなのですが、「元村」とされていたエリアは概ね↑の赤で着色した範囲のようで、昭和30年(1955年)に、札幌村が札幌市に編入された際、「元村」と呼ばれていたエリアの南部が「元町」と呼ばれるようになりました。

「元町」の地名は、行政地名としては昭和56年(1981年)に消えてしまいましたが、現在でも、地下鉄東豊線の駅名や、近隣の小中学校の名前に残されていて、通称地名として広く浸透しています。

そんな「元村」と、札幌市の中心部を結んでいた、旧「元村街道」の現在については、また別な記事で触れたいと思います。

 

 

その「元村街道」沿いに聳え立つ大きなヤチダモの木。

「元村」があった頃から、街道を行く人々の目印となっていたそうです。

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