八雲町の郊外に、このような木製の碑が設置されています。
相当前からあると思うのだけど、先日テレビ番組で紹介されるのを見るまで全く知りませんでした。
先日、木彫り熊の歴史に深く関わった、尾張徳川家第19代当主の徳川義親について紹介しましたが、その二代前の当主であった徳川慶勝は、明治維新後に無職となった旧藩士達の授産のため、北海道移住に着手し、それにより、町内を流れる「遊楽部(ゆうらっぷ)川」の河口付近にあったとされる「ユーラップコタン」周辺に和人も住み始めたことから、「徳川家開墾試験場」を開設しました。
1878年には、尾張徳川家の旧家臣が遊楽部川沖まで船でやってきて、はしけ船やアイヌに背負われて上陸し、内陸側に移住したとされています。
そんな開拓の第一歩を踏み出した地の碑が、こうして解説板と共に建立されているということですが、本当にこの碑の存在は知らなかったです。
木彫り熊の歴史と共に、また一つ、思い出深い町に興味深いエピソードを発掘することができました。
碑の近くに咲いていた花を1枚。
その綺麗さを見て、碑の維持管理と共に、大切にされていることが窺えました。