月寒エリア散策の続き。
昨日まで、歩兵第25連隊の本部跡地を紹介してきましたが、連隊があったことで軍都となっていたこの地域には、連隊本部以外にも軍関係の施設が集中していました。
まずは、こちらの屋外競技場。
主にラグビー場として活用されているほか、弓道場と庭球場も整備されています。
平成元年(1989年)に開催された「はまなす国体」のラグビー競技場として使用されたほか、「ジャパンラグビートップリーグ」など、トップレベルの試合も開催されています。
立入はできないものの、フェンス越しに背伸びしてカメラを向けて撮影。
で、その隣にあるのが、「月寒体育館」。
五輪マークでお分かりのとおり、昭和47年(1972年)の札幌冬季オリンピックで、屋内スケート競技場として活用され、オリンピック終了後の同年4月に、「月寒体育館」と名称変更され、一般開放されています。
オリンピックの他にも、冬季アジア大会や冬季ユニバーシアード、アイスホッケーやカーリングの世界大会などでも使用されています。
場所はこちらですが、かつてこの地には、第25連隊の兵士の訓練場である練兵場が存在していました。
新旧の地図を貼り付けてみました。
連隊本部が月寒に設置されたのは、明治33年(1900年)の11月ですが、月寒の軍都としての歴史としては、それ以前の明治29年(1896年)に、屯田兵を母体とした第7師団独立歩兵第1大隊が創設され、月寒に転営されていたところから始まっています。
この地にあった練兵場には、大正11年(1922年)、当時皇太子であった後の昭和天皇が北海道視察の際に立ち寄っているほか、昭和11年(1936年)には、その昭和天皇が、北海道各地で行われていた陸軍大演習を視察し、第25連隊将校に対する講評もあったとのことですが、終戦後に軍は解体され、この地には、昭和24年(1949年)に道営札幌競輪場が開設されました。
競輪場には、ピーク時で毎年10万人以上の来場者があったとされていましたが、公営とはいえ、ギャンブルに対する風当たりの強さから、廃止を求める声が高まり、昭和36年(1961年)に競輪場は廃止されてしまいます。これは、かねてから競輪場廃止の意向を示していた元道知事の町村金吾が、同34年(1959年)に知事に当選したことで、その気運が一気に高まった末のこととされています。
競輪場が廃止された翌年、跡地は「月寒運動広場」としてラグビー場と庭球場が整備され、札幌オリンピック後の昭和54年(1979年)に庭球場、同63年(1988年)にはラグビー場と弓道場が再整備され、現在の形となっています。
そんな歴史のある場所ですが、連隊本部跡地と違って、その歴史を示す表示板や痕跡などが残されていないのが残念なところです。
歴史が埋もれてしまうことのないよう、今からでも何らかの策を講じる必要があるように思います。