昨日の「弁当屋さんのおもてなし」シーズン2第1話の冒頭で、物語の舞台が、札幌の豊水すすきのエリアであることを示すテロップが出ていました。
「くま弁」のロケ地は豊水すすきのエリアではないので、原作を読んでいない方が、ロケ地も豊水すすきのエリアだと誤解してしまう可能性がありますが、劇中で「くま弁」として登場する建物は、恐らく個人所有の空き家と思われるので、このブログでは場所は公開しません。ご了承ください。
↑の記事、昨日からアクセス数が急増しているようです。ありがとうございます。
ということで、今日はその「豊水すすきの」の話題。
地下鉄東豊線の「豊水すすきの」駅。
昭和63年(1988年)に東豊線が開業したときは、栄町~豊水すすきの間だったので、ここは起終点となっていました。
福住まで延長してから今年の10月で30年になるのだけど、例えば栄町駅などで豊水すすきの行きの電車が発車するときの「豊水すすきの行きが発車します」のアナウンスが未だに頭に残っています。
「豊水」の後、一瞬間をおいて「すすきの」と流れるイントネーションが独特でした。
現在は駅名となって広く知られている「豊水すすきの」ですが、正式な地名ではありません。
東豊線開業に当たり、当初は「新すすきの」という仮名がついていたそうですが、すすきの観光協会から「新」が付くと、従来のすすきのが古臭く感じると反発があり、市側は、町内会の名前にもなっていて住民の間にも定着している「豊水」という通称地名を提示しました。地元町内会としては「豊水」というのが、当時あった「豊水小学校」ぐらいしか公には残っていないことから、何とか駅名にしたいという思いがあったようです。
しかし、ここでまたすすきの観光協会から反発が。協会にしてみれば「新」を入れるなと言っただけで、「すすきの」まで否定するつもりはなかったようで、「すすきの」を駅名に入れることを強く主張したことから、最終的に「豊水すすきの」とすることで落ち着いたそうです。
このことは、関連資料を読んだことで何となく知っていましたが、では、町内会の名前にもなっている「豊水」という通称地名の由来はというと、最初は「豊平川」の「豊」を使っているのかなと思いましたが、豊平川をはじめ、創成川に繋がる鴨々川など、多くの川が流れていて、水が豊であったことから、「豊水」と名付けられた経緯があるのだそうです。
ここは、かつて「豊水小学校」として使われていた建物。
小学校は廃校になっていますが、こうして「豊水」の名前は残されています。
「豊水小学校」は、明治17年(1884年)に開設が認められ、翌年2月、現在の南5条東2丁目に「豊水学校」として開校したのが最初とされています。当時としては、創成川の東に位置する最初の学校だったそうです。
同19年(1886年)に公立学校の統廃合により、「創成小学校」という学校の分校となり、同28年(1895年)に「豊水尋常小学校」となって、同33年(1900年)に現在地へと移転しています。
「豊水小学校」は平成16年(2004年3月31日)をもって廃校となり、同25年(2013年)には、札幌市の歴史資料を多数保存する「札幌市公文書館」が開設されています。
敷地内には、学校があった当時から残されている立派な彫刻が。
「高津和夫」氏という彫刻家の、昭和60年(1985年)の作品だそうです。
旧小学校の近くに、もう一つ「豊水」の名前が残されている施設があります。
消防署の出張所がここにあるのですが、北日本最大の歓楽街である「すすきの」を管轄しているだけあって、札幌一忙しい消防署と言われているようです。
昨年、HTBの「イチオシ!!」で、若さと体力が自慢の福田太郎アナと、新人の福地妃菜美アナが訓練体験の取材に行っていたことがあったので、それを思い出して行ってみました。
「弁当屋さんのおもてなし」にハマったことで、自分にとって魅力的なエリアとなっている「豊水すすきの」エリア。今後も色々散策し、新たな発見をしていきたいと思っていますが、早速発見したことがあるので、最後に紹介します。
以前、このエリアにあることを紹介していた、「飯沼貞吉」という、かの「白虎隊」隊士の歴史を伝える碑。
廃業したホテルの敷地内にありましたが、再開発の関係でしょうか、場所が移転していました。
旧豊水小学校の真ん前です。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
「豊水すすきの」の由来はずっと興味を持っていたので、この機会に調べることができて良かったです。
よろしければ、またぜひいらしてください。
今後ともよろしくお願いいたします。