36
七夕の大渋滞をくぐり抜けそば一盛りで仕舞いの仙台(た)
37
浴衣のまま畳に目覚め平安の姫が浮かんだ銀山温泉(た)
38
生きるとは可能性に対する取り決めらしい「とりあえずね」と前置きしながら(た)
39
昨日まで暑かったという銀山の露天の風呂で秋風を聴く(ま)
40
検査日を縫うようにして銀山温泉熊野と高野は来年の楽しみ(ま)
41
和モダンな隈研吾設計の宿足りないものは掃除ねと妻(ま)
42
いなければダメかと小声で聞く妻よ君喪くしての老後は長し(ま)
退院後すぐに温泉に宿泊した。途中仙台の骨董店に寄ろうとしたら七夕渋滞に巻き込まれ、結局居酒屋さんの蕎麦ランチを食べただけで、雨がポツポツ降り出したこともありそのまま仙台脱出、山形へ向かう。
銀山温泉についたときは雨は降っていなかった。
車が入れないので上の駐車場からでんわをして迎えに来てもらう。
古い建物が並ぶ伝統の温泉街、なのだが、なかなか続けるのは簡単ではないのかもしれない。
私たちが止まったのは、隈研吾設計の新しい建物。その、奥の方が昔からのもの、という。
8月なのにとても涼しく、抗がん剤で体が厳しい状態にある妻にとってはありがたい気候だった。
夜お風呂に入ったら、湯船の間接照明が余りに暗かったため、かみさんが、
「こんなに暗いのはおかしい、どこかに電灯のスイッチがあるはずだ」
と言いだして譲らない。
私はこの仄かな灯りが 「和モダン」の演出なんじゃないか、といくら説明しても、 「面倒くさがって探さないだけじゃん」と言い張る。
未だに真相は闇だ。
確かめるにはもう一度泊まってみるしかないが、今はそんなこと(センチメンタルジャーニー)をしたら号泣ものなので、しません(笑)。
お風呂だけでなく廊下も暗い。
部屋は明るくできるのだが、隅っこに埃が多少浮いていた。
主婦の目はごまかせない、というのが41の歌。
42は 「いなきゃだめ?」と妻がそっと呟いたそのコトバの響きを刻んで置くための一首。いまこの文章をかいているまさに 「今」の思いがこれである。
ただ、あの夏の私に今答えるとしたら、老後が長いのではない、と言ってやりたい。表現が甘かったね。
そうではなく、ただ、会いたいのです。
自分の中身を半ば以上持って行かれてしまったという感じで、老後という自分の人生が残っていてそれが長いという実感はありません。絶望しているのでもない。
どちらかというともっと手応えのない状態です。
重力によってこの世界に留められている感じがせず、フワフワした感触とでもいいましょうか。
会うなんてそんな荒唐無稽なことが叶うはずがない、とは思わない。そういう思考でなないところで、ただ、会いたいのです。