龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

相聞歌2019年9/11~9/15

2019年06月22日 13時26分51秒 | 相聞歌
9/11(火)

158
看護師と我と途方に暮れる探せども刺せども入る血管なし(た)


159
見通しが立たないままに日は暮れて夕餉の梨の一切れ甘し(ま)


9/12(水)

160
にぎやかに手を振り見送る退院日この笑顔にまた会えるのだろうか(た)


161
過ぎてゆく時を振り返る日は来るのかいまここをひた歩く我らに(ま)



9/13(木)

162
身じろげば水の鎖の絡まりて沼のごときベッドに沈む(た)


163
施設には持って行かぬと言いながら服を手にして迷う母の手(ま)



9/14(金)

164
ロードスター老いた愛馬の行く末を引き受ける友に頭下がりぬ(ま)


165
サ高住の一人暮らしもいいものといいつつトラブルを検索する母(ま)


9/15(土)

166
治療も体にとってはよけいなことのひとつらしいすべての労苦振り捨てて眠りたし(た)


167
退職後の職場を気遣うぐらいなら辞めんじゃあないよと自分に突っ込む(ま)


158
入院治療が続いた人なら分かるだろうが、次第に点滴屋採血をする場所(血管)がなくなっていくのである。ただ、どの道にもプロは居るもので、どうしても、というときはその看護師さんにお呼びがかかる。妻の血管は看護師泣かせだったようだ。
救急の方は(その方は一発必中だったが) 「私見だが、貴女の静脈は見かけより深いのかもしれない」とコメントしていた。

159は、ただ夕方仕事帰りに寄って脇に座ることよりほかに何も出来ない(洗濯物とか小物のやりとりはあるにしても)徒然の中で、病気も見つつ家族の日常も見つつ、という様子。

160は、婦人科に入院している患者は、ガン及び再発ガンが多い。特に親しくなる顔なじみは後者だったるする。
その笑顔にまた会えるか、というその歌を見る旅、私もまた同室だった方の笑顔を思い出す。
妻を見送った人たちもまだ元気でいるのだろうか……。

161
今こんなことをしているよ、とあのころの自分に行ってやりたい訳ではないが……。

162
この水は胸水のことか。
次第にしんどくなってきている様子が分かる。
今見ても、辛そうな彼女のことを思い出すのは辛い。

164愛車ロードスターを引き取ってもらう知友人が見つかって喜んでいる様子。手放すまで、妻がそんなにオープンカーが好きだとは知らなかった。

166
162の体調たけでなく抗がん剤の苦しみも募ってきたのだろう。