9/21(金)
177
十八で弾いた曲を指先の記憶を頼りにさぐる雨の日(た)
178
しみじみと引っ越し準備の果てなさを噛みしめている秋の夕暮れ(ま)
9/22(土)
179
アウトレット目指し心も泳ぐ鰯雲秋を突っ切れ高速道路(た)
180
施設への入所が決まった母の報告まだ書けずをり兄へのメール(ま)
9/23(日)
181
包丁で断ち切る如き退職劇も他人事のような秋の黄金田(た)
182
こんなとこ行くもんじゃないねと言っていた施設に来週入居する母(ま)
9/24(月)
183
すすき揺れ団子は皿にうず高し中秋の月は薄雲に隠れぬ(た)
9/25(火)
184
午前三時肩を寄せ合い待つ廊下崖を転がるごとく悪化する病い(た)
185
夜半過ぎ苦しむ妻を脇に乗せ暗闇を駆るクルマよ疾(はし)れ(ま)
177
ここで弾いたのはベートーベンかショパンか?
本人が大人になってからピアノの前に座るとよく弾いていたのは
ワイマンの 「銀波」だった。
https://youtu.be/vRkio6GSqDo
179
50才を過ぎた頃から、骨董市やアウトレットによく出かけた。
アウトレットは
佐野か阿見、時々那須。
骨董市は
平和島全国古民具骨董まつり
(東京流通センター)
大江戸骨董市
(国際フォーラム前)
を主に、
横浜骨董ワールド
(パシフィコ横浜)
骨董ジャンボリー
(東京ビッグサイト)
なども時々。
また幕張メッセで5月の連休中に開かれる大きなフリマもお気に入りだった。
時には地方のがらくた市も訪ねたが、いずれにしても、アウトレットなら7割引以上、骨董市なら1000円以下の 「逸品」を探すのが妻の一番の楽しみだった。
「モノがその持っている力を発揮出来ないでいるのは我慢できない」
が口癖だった。着物を買っては勤務校の文化祭の演劇衣装にしたり、古い人形を買っては
「これは刀を持っているから武士だけど、衣装やお歯黒の様子からいえば平家の若者ね。
手には何も持っていないけれど、何かを手に持って眺めているようだわ。となると平の敦盛(平家の武将で笛の名手)かな……」
などと見立て(想像)を膨らませ、小さな人形用の笛(雛壇飾りのものか?)を探してきて持たせたり、そんなことをやって遊んでいた。
短歌にはあまり骨董のことは出てこないので、ここに記しておく。
184と185は、9/25の午前一時頃、どうしても呼吸が苦しいということで、深夜初めて救急外来にいったときのこと。
何日か前から苦しかったのだそうだが、この夜はとても落ち着いて家にいられる状態ではなく、私がクルマで連れて行った。
この時が治療の間ずっと苦しめれれる胸水による呼吸苦の始まりだった。
胸膜の間にがん細胞を含んだ水(胸水)が貯まり、肺が圧迫された状態である。
この呼吸苦は、必ずしも直ちに呼吸困難を引き起こすものではないらしいが、体を横にして寝ることが出来ない状態が続くので、精神的にも体力的にも厳しくなっていく。
一方私の方は退職が9/30に,母の施設入居が10/1に迫り、妻との同居に向けて準備が何かと慌ただしい時期だった。
このあと10/3に妻を義姉の家からこの隠居所に迎え入れ 「じいさんばあさん」の暮らしが始まることになる。