龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

相聞歌2019年(8/4)

2019年06月09日 09時09分05秒 | 相聞歌
8/4(土)

24ひたすらにけだるい体扱いかねてチャンネル回す一日長し(た)

25七月二十六日まで最前線にいたはずが一転生きることだけが仕事になる(た)

26未提出生徒を呼び出す算段をしている自分を笑う最後の評価(た)


27姉と二人遙かな記憶をほりおこす今さら驚く事々もあり(た)

28妻の住む病室目指す日暮れ時平安貴族のごと和歌(うた)を手に(ま)

29真夜中にイヤな記憶の痛み来る結石(いし)は静かにしてくれるのか(ま)

30アーレント読みに田町に来たもののそれは果たして私の意志か(ま)


31ささやかなこの幸せは続くのか妻と笑いて老母と飲みて(ま)





24~26から、抗がん剤の辛さと仕事を失ったさびしさと、まだ残っている生徒への思いとが交錯している様子がうかがえる。

こうして 彼女の人生が「終わって」から読み直してみると、とても不思議な感じがする。

この、歌を詠みつつ病気と向き合う彼女もまた、あの、全力で仕事をしようとする彼女と同じエネルギーに突き動かされている、とも思えるし、他方で、あんなに強い彼女もまた、こんな風に切ないものを内に抱えていたのだ、とも読める。

できることなら、それを丸ごと捕まえておきたい、そんな風にも思い始める。この相聞歌に対応する仕事の側の彼女もまた、どんな形でか、語られねばなるまい。それはどんな形になるかわからないし、もう少し後で、ということになるだろうが。

27は、この時期(8月9月)姉の家で療養しつつ入退院を繰り返していた。そこで姉と昔の話をしながら
「そうだったんだ」
と気づくことが多かった、と言っていた。姉妹で同じものごとと出会っているはずなのに違ったものを見ているということは多いのかもしれない。

28は、相聞歌を紡ぐことに慣れてきたころの気分を書いたもの。この時、抗がん剤の点滴をするために二泊三日の入院を繰り返していた。

29は、今自分の身体が不調をきたすと、全てが回らなくなると言う不安に駆られて書いた。一度結石をやるとあの痛みは記憶に刻まれてしまう……。

30は、妻の治療の合間を縫って、東京にアーレント研究会を聴講しに行ったときに詠んだもの。多分國分功一郎さんのアーレントの意志論についての発表のときだったろうか。この頃 「意志」について考えるのが私の中で流行りだった。