龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

相聞歌2019年(8/3続きその2)

2019年06月08日 23時32分32秒 | 相聞歌
相聞歌2019年
8/3(2018)続きその2

21涼やかな風鈴の音に包まれて午睡の妻の指先白し(ま)


22姉の家にて療養す妻のもと訪ねる午後やスイカぞ重き(ま)


23昼食はちゃんと食べたか聞く我に代わりに響く風鈴(すず)の音清し(ま)


8月9月の二ヶ月、事情あって妻は姉の家で療養していて、そこに私が訪ねていく 「妻問い」が続いていた。
私は私で歌を作り、妻は妻で書きためたものを数日ごとに見せ合ってメモに纏めていた。

妻は暑さと抗がん剤治療でしんどい様子だったが、後から考えればこの時点で胸水が少しずつ溜まってきていたのだろう。体も思うようでなく、慣れない家での療養ということもあり、仕事を手放した直後でもあり、少し元気がなくなっていたかもしれない。


相聞歌2019年8月3日(続き)

2019年06月08日 19時29分10秒 | 相聞歌
⑰先見えぬ日々に理性は疲れたる風に身まかす風鈴涼やか(た)


⑱身を飾る戒めのひもほどかれて何者でもない自分にもどる(た)


⑲素のままの自分を唯愛する人がいて本当の恋にたどりついたか(た)


⑳病にもお休みの日があるらしいこれからを考える自分がいたりする(た)

退職願を出し、自分を見つめ直す時間がはじまる。
しかしそれは同時に素の自分が病気と向き合うその開放感、戸惑い、寄る辺なさ、自分を見つめ直す時間でもあったのかもしれない。それは彼女だけのことではない。お互いに余計なものを脱ぎ去った もの同士が出会いなおしていく、、ということでもあった。
19の歌は、こういうと子どもじみているけれど、うれしかったのを覚えている。

そして再発癌の場合先が見えない恐怖と向き合うことが避けがたい。20の歌はそんななかで先のことを考えられる日もふと、訪れるという実感が感じられる。今振り返るとちょっと、切ないのだけれど。




相聞歌2019年8月3日

2019年06月08日 08時12分06秒 | 相聞歌
⑮もつれあう心の糸をほぐすなり夫と始めた相聞歌うれし(た)

⑯四十年続けた仕事を辞めた後この人は何して暮らすのか(ま)

※(た)は亡妻、(ま)は私。

夫と和歌(のようなもの)をやりとりすることを楽しく感じているという妻の気持ちを考えると、面と向かって言うのは躊躇われたり恥ずかしかったりすることも、短歌の形なら手渡せる(表現出来る)ということなのかな、と思う。

同時に、自分から表現を纏めるのが甚だ苦手ですぐとっちらかってしまう 「多動」の私にとって、 和歌(短歌)の相聞というフレームを妻から与えられたことは(結果として)とても有り難かった。

私にとって、仕事一本槍だった 「この人」を、そして 「この人」と 「私」の関係を、ゆっくり見つめ直す作業になっていた。

もちろん表現の上で 妻と 「対話」する機会を得られたことも大きな意義があった。その点では一首立ての短歌ではなく、やはり「相聞歌」と呼ぶべきものだったのだろう。

今改めていろいろ気づかされる。