龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

相聞歌2019年8月2日(続き)

2019年06月07日 20時54分35秒 | 相聞歌
⑨いまだ見ぬ幼き子のため服を買う我につながる命のあれかし(た)


⑩旅先で買い集めたる器達日の目も見せずに逝くが悲し(た)


⑪教え子の末を見ずして二度の病「いつもどりますか」の問いが切ない(た)


⑫生き延びる苦しみ重くどうせなら眠るが如くと願う朝夕(た)


⑬教員は皆短命の家系なり定年まで走った自分をほめる(た)



⑭息子らの緊張した声に成長うれしき親が先に逝ってこその幸せ(た)

この日は堰を切ったように沢山歌が出来たようだ。

まだ見ぬ孫に思いを馳せては命がつながってほしいと願い、教え子のことばに切なさを覚え、買い揃えた趣味の食器を使う機会があるのかと憂い、苦しみの中で生きるならむしろ眠るようにいってしまいたいと述懐し、教師として精一杯やり切った手応えを感じつつ、息子らのことを思う……。

仕事に区切りをつけて、様々な思いが一度に溢れ出した夏の1日だったのだろうか。

相聞歌2019年8月2日

2019年06月07日 19時31分24秒 | 相聞歌

⑦退院後妻は「ふふふ」とよく笑う静かな余生の始まる音色(ま)

⑧いつまでも生きたいと願う癌と私命のゆがみの追いかけごっ(た)

※(た)は亡妻、(ま)はブログ子

⑦のように私が感じたのは、後から考えれば、仕事を辞めると決断したことが大きかったのかな、と思う。7/26に検査で癌がみつかり、その後数日で退職することを決めたと記憶している。残っている退職願の日付がこの日(8/2)。

教師として駆け抜けてきた40年近くの歳月がここで終わり、と言うホッとしたような、柔らかい表情を時折見せるようになったことを表現した。

しかし、同じ日の妻の一首⑧は 「命の闘い」に焦点を当てている。
たぶんNHKの番組でガン治療の最前線を取り上げていたのではなかったか。ここから翌年3月6日まで、「追いかけごっこ」は続くことになるのだった。

相聞歌2019年8月1日

2019年06月07日 11時17分14秒 | 相聞歌
8/1(水)

⑤夫(つま)に会い得たものは自由失ったものはない皆自分で捨てた(た)


⑥院内の風呂場で打ち明け話する「がんばりたくないねぇ」が合い言葉なり(た)


※(た)は亡妻、(ま)は夫の私

⑤は、 「何でオレみたいな面倒くさいヤツと結婚したの」徒尋ねた時の答えを歌にしたものかと。
24h一緒にいるとヒマだったりするので、色々昔のことを思い出して語ったりするんですよね。
そんなシーンからの一首です。
つまりオトコを選ぶというのはそいつがいいか悪いかというより、それ以外を捨てる、ぐらいの腹を括った選択だった、と言うことかもしれません。
結婚前、彼女も私も別の人との可能性がなかったわけではないのに(持てないなりに〈笑〉)、ここに落ち着いた、そんな流れも思い出させられました。

⑥は入院中、婦人科の病棟の人とお風呂で話したときのことです。
再発癌でステージが進むと、なかなか完治という先のイメージは持てない。その中で 「頑張って」と言われてもねえ……という彼女の、そして患者さんたちの本音の一部が聞こえてくる歌です。
もちろん辛い抗ガン剤を続けている以上、 「生きたい」と言う思いは強くないはずはありません。しかし、でも……なんですよね。