8/8(水)
49
「理想はね目が覚めるとあなたがいて」本音ようやく顔のぞかせる(た)
50
「娘に産まれて着物を着るの」しま爺が私をあやすおとぎ話(た)
51
看病にてやつれていく夫(つま)見るやるせなさ苦しみはらうはずの自分が重荷(た)
52
旅したい場所を数えて日が暮れる英国湖沼かマダガスカルか(ま)
53
旅に出て他愛ないこと語り合うクルマの中の時を惜しみつ(ま)
54
どうしたい?ほんとは何がほしいの?とずっと尋ねて来た気がしている(ま)
55
これからはいつも二人で生きようと誓う四十二年目の夏(ま)
56
限りある命を重ね生きむとすただそこにいてただともにいて(ま)
49の歌について。
私たち夫婦はずっと三世代三世帯2住宅同居を続けてきた。去年の時点で、妻も私も自分の母親と同居して生活していた。、たから夜家の仕事を終えると二人でドライブしたり、週末は買い出しと称してよく道の駅やアウトレットに出かけ、二人の時間を確保してきた。
計画では、順番に二人の母親を見送ってから、その後で隠居所として設計した私の家に夫婦が合流する予定だった。
ところが妻=娘=嫁が先に再発癌となり、私たちの同居が先になった。
その結果91の妻の母は独居となり、86才の私の母は急遽施設に入居し、私たち夫婦が同居していくことになるのである。
その途中、私の母が施設に引っ越すまでの間、妻は2カ月ほど姉の家に居候することになった。姉と姉の家族はよくしてくれたし、姉妹で過ごすことができた2ヶ月は、姉にとっても大切な時間になったと思う。
妻の中には、病身になって周囲に様々な迷惑をかけるのを潔しとしないという矜持と、同時に何も考えずに素直かつ単純に生きるシンプルな動物性とが同居していたようにも思う。その中で自分の思いは深いところに押し隠されていたのかもしれない。
そういえば彼女は 「自分の中に三つのキャラクターがいる」といつも語っていた。
下女で生活を支える門番
戦闘能力抜群のガーディアン
そしてその二つに支えられたお姫様
「本音」というのは
①生活を営むということと
②家族たちを守るということ
に紛れて押し隠していた思い、ということになるだろうか。しかしこのお姫様、結構傍若無人だったりもするのであるが。
50は、新たな命となって甦る、というファンタジーを歌ったものか。佐藤正午の近作(妻は読んでいない)のようなお話し。
リアルに換算すれば、私の代わりに孫の世話でもしなさいよ、という下命、とも読める。
51は、夫としての私は看護=介護 「ハイ」になっているので、痩せていくのもむしろ心地よかったりするのだが、世話をしてもらう側はその身を重荷と感じてしまうことがある、ということか。
この後私自身、介護依存が生じ、次第に親戚や肉親でも妻を触らせたくない、という 「我有化」の症状が起こってくる。お互いに相手を思う気持ちに嘘はないのだが、それでもいろいろ様々苦しくなる、ということはあるものだ、と知らされていく、その一つ。
52,53は暇があるとお互いにあそこが良かった、今度はどこに行きたい、と旅行のことを話すのが楽しみだった、そんな折のことを詠んだものだ。
50才頃、子供の大学が終わった頃から二人で旅行することが多くなった。とは言っても実際は国内のドライブが主で、英国湖沼は妻の、マダガスカルは私の、退職後の旅行希望地だった。
54~56は、ようやく事態の重さを実感し始めた私の、それでもまだ命のやりとりになるという切迫感を持っていない述懐の歌。
ただ、やはり19才のとき知り合ってから42年間なんだかんだと言いながら続いてきたその時間の長さが、自分と妻との関係の重さ・大きさとして底流に流れている実感はそれなりにあったのだろう。
それを本当に切実に感じるのは、ここではなくもう少し後のことだったが。
49
「理想はね目が覚めるとあなたがいて」本音ようやく顔のぞかせる(た)
50
「娘に産まれて着物を着るの」しま爺が私をあやすおとぎ話(た)
51
看病にてやつれていく夫(つま)見るやるせなさ苦しみはらうはずの自分が重荷(た)
52
旅したい場所を数えて日が暮れる英国湖沼かマダガスカルか(ま)
53
旅に出て他愛ないこと語り合うクルマの中の時を惜しみつ(ま)
54
どうしたい?ほんとは何がほしいの?とずっと尋ねて来た気がしている(ま)
55
これからはいつも二人で生きようと誓う四十二年目の夏(ま)
56
限りある命を重ね生きむとすただそこにいてただともにいて(ま)
49の歌について。
私たち夫婦はずっと三世代三世帯2住宅同居を続けてきた。去年の時点で、妻も私も自分の母親と同居して生活していた。、たから夜家の仕事を終えると二人でドライブしたり、週末は買い出しと称してよく道の駅やアウトレットに出かけ、二人の時間を確保してきた。
計画では、順番に二人の母親を見送ってから、その後で隠居所として設計した私の家に夫婦が合流する予定だった。
ところが妻=娘=嫁が先に再発癌となり、私たちの同居が先になった。
その結果91の妻の母は独居となり、86才の私の母は急遽施設に入居し、私たち夫婦が同居していくことになるのである。
その途中、私の母が施設に引っ越すまでの間、妻は2カ月ほど姉の家に居候することになった。姉と姉の家族はよくしてくれたし、姉妹で過ごすことができた2ヶ月は、姉にとっても大切な時間になったと思う。
妻の中には、病身になって周囲に様々な迷惑をかけるのを潔しとしないという矜持と、同時に何も考えずに素直かつ単純に生きるシンプルな動物性とが同居していたようにも思う。その中で自分の思いは深いところに押し隠されていたのかもしれない。
そういえば彼女は 「自分の中に三つのキャラクターがいる」といつも語っていた。
下女で生活を支える門番
戦闘能力抜群のガーディアン
そしてその二つに支えられたお姫様
「本音」というのは
①生活を営むということと
②家族たちを守るということ
に紛れて押し隠していた思い、ということになるだろうか。しかしこのお姫様、結構傍若無人だったりもするのであるが。
50は、新たな命となって甦る、というファンタジーを歌ったものか。佐藤正午の近作(妻は読んでいない)のようなお話し。
リアルに換算すれば、私の代わりに孫の世話でもしなさいよ、という下命、とも読める。
51は、夫としての私は看護=介護 「ハイ」になっているので、痩せていくのもむしろ心地よかったりするのだが、世話をしてもらう側はその身を重荷と感じてしまうことがある、ということか。
この後私自身、介護依存が生じ、次第に親戚や肉親でも妻を触らせたくない、という 「我有化」の症状が起こってくる。お互いに相手を思う気持ちに嘘はないのだが、それでもいろいろ様々苦しくなる、ということはあるものだ、と知らされていく、その一つ。
52,53は暇があるとお互いにあそこが良かった、今度はどこに行きたい、と旅行のことを話すのが楽しみだった、そんな折のことを詠んだものだ。
50才頃、子供の大学が終わった頃から二人で旅行することが多くなった。とは言っても実際は国内のドライブが主で、英国湖沼は妻の、マダガスカルは私の、退職後の旅行希望地だった。
54~56は、ようやく事態の重さを実感し始めた私の、それでもまだ命のやりとりになるという切迫感を持っていない述懐の歌。
ただ、やはり19才のとき知り合ってから42年間なんだかんだと言いながら続いてきたその時間の長さが、自分と妻との関係の重さ・大きさとして底流に流れている実感はそれなりにあったのだろう。
それを本当に切実に感じるのは、ここではなくもう少し後のことだったが。