龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

相聞歌2019年(8/15~8/17)

2019年06月14日 20時58分35秒 | 相聞歌
8/15(水)

83
「中学生の努力こそが教師の誇り」ほしいものを見つけたラストメッセージ(た)


84
死ねばゴミと言い放ちつつ父の墓を丁寧に拭く母の顔優(やさ)し(ま)



8/16(木)

85
数値良く夫の笑顔のやわらかさだからこそ知る覚悟の重さ(た)


86
教え子の手縫いのお守りありがたし生徒達から幸せ返し(た)


87
限りなく検索続け治癒率の高き論文探しをる午後(ま)



8/17(金)

88
どの墓に入りたいかと夫(つま)が聞くパフェかあんみつかと問うかのごとく(た)


89
ほとんどを眠って過ごす老犬と我をなでゆく初秋の昼風(た)


90
抗がん剤の脱毛よりも抜けた毛の白髪がさびし秋の夕暮れ(た)


91
発注のミスで怒られ凹む子を大人になったとふと思う夜(ま)

83は退職が決まって、始業式の日に生徒たちへお別れのコトバを読んでもらう、その原稿を書いていた時のもの。中学教師という仕事に誇りを持ち、生徒たちの魂をリスペクトし続けた妻らしい一首。

84は母の口癖を書いておきたかった。 「人間みんな死ねばゴミ」というのは、 「ある種の切断の覚悟」でもあろう、自分に言い聞かせる言葉でもあっただろうか。
妻を喪ってみて、 「死ねばゴミ」と言い放つ意味が心に沁みてくる。その境地には未だ至らずですが。

85こういうことは何度かあって、数字に一喜一憂することはない、と言い聞かせてはいても、お互いうれしいもので、表情が緩むということはあっただろう。

値が悪いときには暗くならず気にせずに振る舞い、良いときには喜ぶ……そういう風に心がけていたわけだが、 「覚悟の重さ」と言われると胸が痛い。

ひたすら、二人で生きることをできる限り肯定して 「良く生きる」をやりきりたい、そう思っていた。

具体的には、悲しかったり切なかったり落ち込んだりする気持ちは、全て未来に転送するという感じだった。今を大切にする、というとき、そう考えるしか手立てがなかった、ともいえようか。

88は、お葬式の話とかを本人がポツポツ話し始めたりしていて、その流れの中でお墓の話になった。
言われてみればその通りで、 「失礼しました」と苦笑した記憶がある。
結論としては 「パフェもあんみつも、どっちも!」だった。分骨ですね。

90,91は、抗がん剤治療が続くと動けなくなる、そういう体力的にキツい様子だと思って読んでいた。
実際にはこの頃から胸に水(胸水)が溜まり始めていたのかもしれない。

91は、責任を感じているへこみ方だったので、詠んだ歌。
子供の成長は ついつい 「遅い!」としか思えないものだが、自分を振り返ってみると、実際には同年代の頃の自分よりも息子の方がよほどまともだった。

相聞歌2019年(8/14)

2019年06月14日 12時35分13秒 | 相聞歌

8/14(火)

81
何本もジブリ作品再生すその時々の自分重ねて(た)


82
大ぶりのスイカをかかえ家路(みち)急ぐ立(たち)葵(あおい)咲く路地に吹く風(ま)


81同年代の人には多いのではないか。自分が観た記憶と、子どもと観た記憶とが重なっている。
宮崎駿は、漱石のような「国民文学」だ、と高橋源一郎が言ってたけど、納得。
スタジオジブリの作品の中で妻と初めて一緒に見たのは『風の谷のナウシカ』だった。
劇場で妻と一緒に観たのは『もののけ姫』。

82は、妻が実家から出て姉の家に行っている時期(8,9月)に、果物を持って坂道を下りていった記憶を書いたもの。夏の終わりの風景が病床にあった妻(この頃から抗がん剤治療の副作用でしんどくなっていく)の記憶と重なって思い起こされる。
書いておいて良かった、と思う風景の一つ。