8/15(水)
83
「中学生の努力こそが教師の誇り」ほしいものを見つけたラストメッセージ(た)
84
死ねばゴミと言い放ちつつ父の墓を丁寧に拭く母の顔優(やさ)し(ま)
8/16(木)
85
数値良く夫の笑顔のやわらかさだからこそ知る覚悟の重さ(た)
86
教え子の手縫いのお守りありがたし生徒達から幸せ返し(た)
87
限りなく検索続け治癒率の高き論文探しをる午後(ま)
8/17(金)
88
どの墓に入りたいかと夫(つま)が聞くパフェかあんみつかと問うかのごとく(た)
89
ほとんどを眠って過ごす老犬と我をなでゆく初秋の昼風(た)
90
抗がん剤の脱毛よりも抜けた毛の白髪がさびし秋の夕暮れ(た)
91
発注のミスで怒られ凹む子を大人になったとふと思う夜(ま)
83は退職が決まって、始業式の日に生徒たちへお別れのコトバを読んでもらう、その原稿を書いていた時のもの。中学教師という仕事に誇りを持ち、生徒たちの魂をリスペクトし続けた妻らしい一首。
84は母の口癖を書いておきたかった。 「人間みんな死ねばゴミ」というのは、 「ある種の切断の覚悟」でもあろう、自分に言い聞かせる言葉でもあっただろうか。
妻を喪ってみて、 「死ねばゴミ」と言い放つ意味が心に沁みてくる。その境地には未だ至らずですが。
85こういうことは何度かあって、数字に一喜一憂することはない、と言い聞かせてはいても、お互いうれしいもので、表情が緩むということはあっただろう。
値が悪いときには暗くならず気にせずに振る舞い、良いときには喜ぶ……そういう風に心がけていたわけだが、 「覚悟の重さ」と言われると胸が痛い。
ひたすら、二人で生きることをできる限り肯定して 「良く生きる」をやりきりたい、そう思っていた。
具体的には、悲しかったり切なかったり落ち込んだりする気持ちは、全て未来に転送するという感じだった。今を大切にする、というとき、そう考えるしか手立てがなかった、ともいえようか。
88は、お葬式の話とかを本人がポツポツ話し始めたりしていて、その流れの中でお墓の話になった。
言われてみればその通りで、 「失礼しました」と苦笑した記憶がある。
結論としては 「パフェもあんみつも、どっちも!」だった。分骨ですね。
90,91は、抗がん剤治療が続くと動けなくなる、そういう体力的にキツい様子だと思って読んでいた。
実際にはこの頃から胸に水(胸水)が溜まり始めていたのかもしれない。
91は、責任を感じているへこみ方だったので、詠んだ歌。
子供の成長は ついつい 「遅い!」としか思えないものだが、自分を振り返ってみると、実際には同年代の頃の自分よりも息子の方がよほどまともだった。
83
「中学生の努力こそが教師の誇り」ほしいものを見つけたラストメッセージ(た)
84
死ねばゴミと言い放ちつつ父の墓を丁寧に拭く母の顔優(やさ)し(ま)
8/16(木)
85
数値良く夫の笑顔のやわらかさだからこそ知る覚悟の重さ(た)
86
教え子の手縫いのお守りありがたし生徒達から幸せ返し(た)
87
限りなく検索続け治癒率の高き論文探しをる午後(ま)
8/17(金)
88
どの墓に入りたいかと夫(つま)が聞くパフェかあんみつかと問うかのごとく(た)
89
ほとんどを眠って過ごす老犬と我をなでゆく初秋の昼風(た)
90
抗がん剤の脱毛よりも抜けた毛の白髪がさびし秋の夕暮れ(た)
91
発注のミスで怒られ凹む子を大人になったとふと思う夜(ま)
83は退職が決まって、始業式の日に生徒たちへお別れのコトバを読んでもらう、その原稿を書いていた時のもの。中学教師という仕事に誇りを持ち、生徒たちの魂をリスペクトし続けた妻らしい一首。
84は母の口癖を書いておきたかった。 「人間みんな死ねばゴミ」というのは、 「ある種の切断の覚悟」でもあろう、自分に言い聞かせる言葉でもあっただろうか。
妻を喪ってみて、 「死ねばゴミ」と言い放つ意味が心に沁みてくる。その境地には未だ至らずですが。
85こういうことは何度かあって、数字に一喜一憂することはない、と言い聞かせてはいても、お互いうれしいもので、表情が緩むということはあっただろう。
値が悪いときには暗くならず気にせずに振る舞い、良いときには喜ぶ……そういう風に心がけていたわけだが、 「覚悟の重さ」と言われると胸が痛い。
ひたすら、二人で生きることをできる限り肯定して 「良く生きる」をやりきりたい、そう思っていた。
具体的には、悲しかったり切なかったり落ち込んだりする気持ちは、全て未来に転送するという感じだった。今を大切にする、というとき、そう考えるしか手立てがなかった、ともいえようか。
88は、お葬式の話とかを本人がポツポツ話し始めたりしていて、その流れの中でお墓の話になった。
言われてみればその通りで、 「失礼しました」と苦笑した記憶がある。
結論としては 「パフェもあんみつも、どっちも!」だった。分骨ですね。
90,91は、抗がん剤治療が続くと動けなくなる、そういう体力的にキツい様子だと思って読んでいた。
実際にはこの頃から胸に水(胸水)が溜まり始めていたのかもしれない。
91は、責任を感じているへこみ方だったので、詠んだ歌。
子供の成長は ついつい 「遅い!」としか思えないものだが、自分を振り返ってみると、実際には同年代の頃の自分よりも息子の方がよほどまともだった。