龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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相聞歌2019年(9/1~9/10)

2019年06月19日 23時25分47秒 | 相聞歌
相聞歌2019年(9/1~9/10)

9/1(土)

130
身軽さと淋しさつれてひょうひょうと仕事は遊びと夫のたまふ(た)


131
本部付き退職前の文化祭喧噪の中に寂しさを聴く(ま)



9/2(日)

132
もし一人取り残されたとしたならば寒い風が吹きすぎる夜(た)


133
台風で吹き寄せる風ごうごうと焼き尽くせかしこの憂鬱を(ま)


9/3(月)

134
二人で為すことが次の道つくると夫は言う心に小さなともしび灯る(た)

135
一夜明け祭りの後の夢の跡名残りを惜しみ秋の風吹け(ま)


9/4(火)

136
湿り気味の重き心を乾燥す大型ランドリーの回転軽やか(た)

137
温泉に親子三代逗留すこれが最後と幾度目の笑み(ま)

138
高原の温泉宿に親子孫窓打つ雨の音も心地よし(ま)

139
買わなくてよいものを買う道の駅老母の旅はそれが楽しみ(ま)

140
道の駅どちらにするか両方か迷いつついく高原の朝(ま)

141
「施設」なら買わずともよい食材を選ぶも最後かインゲン安し(ま)



9/5(水)

142
天災にあっけなく奪われる命あり生き延びる苦しみ画面に重く(た)

143
文化祭のペンキの跡残る長廊下を豆テストを持ちクラスへ急ぐ(ま)

144
雨降の日は何をしているのかとワイパー動かしつつきみ想う(ま)



9/6(木)

145
水を運びろうそくの灯火囲む夜人の暮らしとぬくもり抱く(た)

146
退職を半年繰り上げ一人去る部屋は静かな空気を抱きて(ま)



9/7(金)

147
台風と地震一色のチャンネルに通常番組が混じる三日目(た)

148
退職の日を夢見てた若い頃甘さと淋しさ教えてあげたい(ま)



9/8(土)

149
山崩れ生と死を分かつものは何答えのなさに時ばかり過ぐ(た)


150
母を連れ施設の面談する前に入った店のラーメン旨し(ま)



9/9(日)

151
嫁ぎゆく姪の荷物をあれこれと姉とそろえる重陽の節句(た)

152
抗がん剤は四度目が辛いと言った妻四年後の今は黙って受けている(ま)



9/10(月)

153
ロードスター手放す淋しさせわしなく軽自動車のパンフをめくる(た)

154
残る日々二人で生きていこうねと誓う我らは幼子のごとし(ま)


155
悔いもなし望みも持たぬ我なれど二人して生きる時よ長くあれ(ま)

156
望みなど無くただ二人もう少しもう少しだけ生かされていたい(ま)


157
憐憫に浸る暇無く行く日々を幸いとみる我を言祝げ(ま)


2018年の9月~10月にかけては、台風21号による北海道を中心とする大きな災害(9/5)、職場の高校の文化祭(9/2)、私の退職(9/30)、母の施設入居(10/1)、姪の結婚(9/9)、呼吸苦による夜間の受診(9/25)など、様々なことがあった。

歌を見ていると、一つ一つ当時のことを思い出す。


153にもあるマツダロードスター、妻のクルマだったが、この歌で初めてそんなにも気に入っていたのだと知った。
阿蘇の草千里も伊勢神宮も白神山地もこのロードスターで行った思い出のクルマだ。
妻は亡くなる三日前までドライブに出かけていた。もちろん運転は私だが、窓の外の流れる風景を見ていたかったらしい。
二人の退職を機に手放し、燃費の良い軽自動車を買うことになっていた。
今考えるとそんなことをしなくても良かったのかな、とも思うが。

132,134,136は、彼女の気持ちが、見えてきて泣きたくなる。妻の歌はどれもそうなのだが、このあたり、読むのが少し辛い。
仕事を辞めて二人で24h一緒にこれから生きていく、という寄り添いの気持ちと、まだ治療に期待しつつしかし先の見えない切なさを二人とも抱えていたのが、よみがえってくる。



映画『主戦場』を観てきた。

2019年06月19日 14時18分11秒 | 大震災の中で
偶々ぽっかりと福島市で3日間過ごすことになった。
昨日はこれもたまたま駅前で友人と出会い、軽く酒飲みしながらグチ聞き大会になった。

上手くいかないことはそれこそ星の数ほどあって、そういう 「ウンコ」なことでほぼ日常の 「業務」は埋め尽くされている。

決してシンプルな答えは出ないし、快刀乱麻を裁つような名案が見つかったときは むしろ 「危ない」デロデロした泥沼のような日常の中で、何がしたいのか見失わないようにするのが精一杯だったりもする。

それぞれに守るべきものがあり、自尊心ややるべき方法、理想なんぞというものさえ各自ふんだんに抱えてもいるとしたら……。

昨夜聞いていたグチとさっき観た『主戦場』という映画とが、今私の頭の中で少し響き合っている。

杉田水脈(みお)とか桜井よし子とか、藤岡信勝とかいった人たちの語る話をマジメに聴いたのは実はこれが初めての体験で、これは正直非常に興味深いものがあった。

彼らの主張は正直なところ私の立場とは遠くかけ離れていて、普段真剣に聞く気にもならない。

だが、暗闇に独りポツンと置いておかれ、音と映像を次々に繰り出されていく 「映画」というマゾっぽいメディアだからこそ、彼らの主張もじっくり聴かされることになり、だから(当然)じっくり聴くことにもなった。
さて、じっくり聴いてみると、これがなかなか面白いのである。

例えば藤岡信勝は 「国家は謝罪しちゃならんのです」と何度も何度も繰り返す。だから河野談話は致命的なミスだったとでもいいたげに。
私などは河野談話を聞いて 「日本も成熟していくのね」と感慨深く思ったから、藤岡信勝の
〈絶対許せん河野談話〉
的スタンスがどういう欲望に支えられているのか興味がわいてくる。
レキシシュウセイシュギシャがたんなるウンコであることが自明である時代は(日本では)終わったのだ、ということは分かる。
そして実はこれは、日本だけのウンコ蔓延で済まないようだ、ということも感じる。

日本会議は1997年河野談話に対するバックラッシュ(反動)というのがこの映画の作り手の基本的スタンスで、それがせいじてき宗教的市民運動的に勢力を増してきている様子もよく分かった。

杉田水脈とか、名前も覚えていない学者某とか、櫻井某とか、ケント某とか、あまりにも 「普通」の杜撰さがあからさまで、相手にしたくない。

しかし、マジメに考えないと本当に大変なんだ、と分かった。

極めて面倒くさい。


とはいえ、事態は面倒くさいところにある、のだとしたら、それから逃げ出すわけにもいくまい。

さて、ではどうしたいか。
国家について考え抜かないといかんなあ。何が起こっていて、何が欠如しているのか、を見ることだね。

決して
「なにが隠されているのか」
というスタンスではなく。
それではちょっと油断すると、答えを与えたがっているヒトの餌食になる。

そこ、難しいんだけど。

相聞歌2019年(8/28~8/31)

2019年06月19日 14時00分59秒 | 相聞歌
8/28(火)

118
「一身上の都合」退職願の理由欄事情も思いも置き去りの定型(た)


119
気づくのはいつも後からいま今日のこの時のための人生だった(ま)



8/29(水)

120
やれること探し自分が動くことが今ある形の正体たらん(た)


121
お互いに遅るる時の悲しみは未来にとっておくことにする(ま)


122
老い先やどちらが先に倒れるか日々の暮らしの確率論議(ま)


123
明日のことは明日にならなきゃ分からない今日いる人と今日やることを(ま)



8/30(木)

124
波にゆられくるくる回る小貝かな不安と期待ないまぜの通院日(た)


125
ぎりぎりにならねばやらぬ「宿題」に追い込まれてる残暑の夕暮れ(ま)



8/31(金)

126
車めがけ走り来る教え子ら愛おし互いに喪なうものに心痛し(た)


127
「どんな魔法をかけたの?」階段につめかけた生徒に夫(つま)は笑う(た)


128
残された老後を妻と過ごそうと退職決めた夜まだ暑し(ま)


129
夕暮れの廊下にペンキ塗り立ての段ボール林立す明日文化祭(ま)


128と129について書いておく。
妻が退職した中学校に、書類を置きにいったとき、生徒たちは私が乗っていった妻のクルマを二階のベランダから目ざとく見つけて、正面玄関前の階段から怒涛のように下りてきて妻を探し、私しかいないのを見て取ると口々に 自己紹介をしつつ 「妙子先生は?」と尋ねて来る。

まあ、高校と違って義務の 「先生」は生徒との関係が深いのだろうが、それにしてもスゴい。
妻の 「マジック」というか、中学生一人一人を惹きつける力の強さには心底驚いた。
病気で中途退職する、という事情があるにせよ、彼らの動きは、私の教師経験にはない 慕われ方だ。
いつも妻には
「なに中学生騙してるんだよ」
と戯れに言っていたが、これほどとは思わなかった。
騙して何かをさせたい、というより、したい何かを探していけるように立って歩かせたい、という方が近いのだろうとは思っていた。

それがこんなにも中学生に響くのだとは。

「互いに喪うもの」

しばらくの間この言葉に私は向き合ってみようと思う。