年末(2021年12月29日)、友人の退職祝い兼忘年会兼編集会議で福島に行った帰り、時間が会ったので
友人に勧められていた映画
『偶然と想像』を観た。
メチャクチャ面白かった。
映画の内容は下記を観てもらうといい。
監督が最初に登場して、舞台挨拶さながら客席に語りかけるのも楽しかった。
40分前後の短い独立した映画が三本「偶然と想像」という題の下に映されていくのだが、一番びっくりしたのは、映画の中身ではなく、極めて個人的な体験のことだ。
(誰でもするように)映画館を出て車に戻るまで歩きながら内容や印象を反芻する。いつものようにそれをしよう思って映画館の階段を下りはじめたとき、
「あれ?」
と思ったきり、固まってしまった。
二本目の映画の内容が全く思い出せないのだ。
一本目の三角関係めいた話は覚えている。三本目の女性二人の同窓会ネタも大丈夫。ところが、二本目の内容が分からない。
余りにキレイさっぱり抜け落ちているので、だんどん怖くなり、答え合わせのために映画館に戻ってパンフレットを買い、しかしそれを開かないままもう一度最初から思い出そうとしてみた。
だめだ……。
なんとしても思い出せない。
一本目のラストシーン、工事中の都会のビル街は思い出す。
三本目の始まり、仙台駅前のシーンも分かる。
なぜ間の二本目の記憶だけ、まるごと消えているのだろうか。
周りの人にこれを言うと「老化」「痴呆」「認知症」と決めつけられてしまいかねない、このまま思い出さなかったら病院にいかなきゃならない、など、余計ななことが頭を過り、かえって思い出せなくなる。
この後すぐに思い出せばネタ(笑い話)になるかもしれない。だが、パンフレットとかサイトを観るまで思い出さなかったら、自分自身にとって洒落にならない。
たった今、数10分前に観た映画なのだ。その前も後も分かるのに、と思うだけでだんだん背筋が寒くなってくる。
歩く速度を緩めて、念力を使うように全身全霊で思い出そうとする。
横断歩道の信号待ちで、うなり声をだしそうになるほど苦悶していると、金属でできた卵のようにツルツルして手がかりのないその記憶の塊の表面に、糸屑の綻びのようなものの手応えが見えた。
それを触って引っ張ろうとするがなかなか糸の先が掴めない。そうイメージしているうちは記憶の内容が全くこちら側には流出してこないのだ。信号が青になる。歩き出す。
あ、と思ったら……思い出しました。
エロい本を朗読する女性の情景が。
(内容は本編をご覧ください)
いやー、マジで焦りました。
人生の中で記憶に絡む「バグ」は何度か経験していて、その多くは
「運転中に、今走っている道路についての見当識を失う」
というもの。
平たく言うと、
「今どこの道路をはしっていて、道路の先がどうなっているかわからず、だから目的地へ向かう手順もそこ方向も全くわからなくなってしまう」
というもの。
知らない道を走っていれば同じ状態じゃないかって?
そうではないのです。それはあたかも分からないものの中に放り込まれた恐怖とでもいうか、走っている車の速度についていけないぐらいのパニックなのです。
今回のものはそれとはすこし種類が違っていました。
この短編三部作のパワー、つまり
全く異なった想像力を観るものに強いてきて、それを切断しつつ繋いでいく力、にやられたのかもしれません。
もしかすると、普段からこういう忘却を経験しているのかもしれなくて、この作品の「偶然」と「想像」と「切断」が、むしろ普段なら抑圧してしまうような「切断」=忘却を、表層に浮かび上がらせたのかも?
そんなことを思ってしまいました。
おもいだしてよかった、ですけど。
できればぜひ、映画館の暗闇でご賞味あれ。