龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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続々・『スピノザの自然主義プログラム』(木島泰三)を読む

2022年01月19日 08時00分00秒 | 相聞歌

ここまで(第6章の前半まで)は面白い、で済んでいたが、いよいよ話が佳境に入ると、なかなか難しいところにさしかかる。

第6章後半部分、P

P153

つまり現実的本質とは<しかじかの行為をなしつつある自己に固執するコナトゥス>であり、<行為のコナトゥス>としての側面と、<自己の有への固執のコナトゥス>としての側面を共に備えている。

あたりになると、これはもう、コナトゥスってなんだったっけ?と見直さなければならなくなる。

コナトゥスとはラテン語のconutusで、「努力(する)」という意味だが、ここで木島さんは

「全ての個物の核心に位置する傾向、または力を指すための術語」

と説明している。これが、意志も目的も持たないというのだ。

スピノザ解釈としてはその通りなのだろうが、意志も目的も持たない「力」とはいったいなんだろう?ということになる。まあ、神=自然の摂理の表現、なんでしょうけど。

この本の副題「自由意志も目的論もない力の形而上学」という主題に関わる記述がここから展開されていく。

一般的な人間の行為に目的があることはスピノザも当然認めているわけだが、それは人間主体の自由意志とかを認めたり、予め可能性として目的を設定したりはしない、そういう種類のものではない「力」をここで考えて行くということなのらしい。

スピノザを論じる人はみーんなそういうことを言うし、そうなんだろうなあ、とは思うけれど、このままここで突き放されては哲学ヲタクのトリヴィアルな学問の場所に放置されてしまいそうだ。

木島ースピノザが言うところの意志も目的も持たず、自己に固執する力と自己の核心に存在する傾向性から、人間の営みをどう捉え直していくのか。

話はギリギリついていけるかどうか、というところにさしかかってきた。

 

第7,8,9章は明日以降の楽しみになる。

 


ガイ・リッチーの映画『コードネームU.N.C.L.E』は楽しかった。

2022年01月19日 07時00分00秒 | メディア日記

ガイ・リッチーの映画『コードネームU.N.C.L.E』を見た。

『ジェントルメン』ほど期待して見ていなかったせいか、楽しい時間を過ごせた。
1960年代なのだろうか、ベルリンの壁が存在し、東西対立があり、原爆製造の秘密を巡ってスパイ組織が暗躍するというノスタルジックな世界を、当時の街とかクルマとかファッションとかを丁寧に(たぶん)再現して見せてくれる感じもいい。
TV番組としての「ナポレオンソロ」は子どもの頃地元のTV局では放映しておらず、親戚の家に泊まったときぐらいしか見られなかったからリアルタイムでは知らないのだが、当時のスパイ物(007の映画も流行っていた時代ですね)、たとえばイアン・フレミングの小説なら読んでいたはずだ。

そんなこんなを含めて、堪能できる一作だった。

個人的には『スナッチ』の印象があまりに強すぎるのだが、それと比較しさえしなければ楽しめる娯楽作品かと思う。

21世紀になって、みんなが楽しめるスパイ娯楽映画を作れるその腕は確かなんじゃないかな。
当然のようにエンディングでイスタンブールの事件に続く感じを匂わせているところなんかも昔風で素敵。
「続編がほしい」とファンが言いたくなる気持ちも分かる。
それも含めての、模倣というかリスペクトというか、パロディというか、遊んでる感じなんだろう。
英米合作映画、とwikiにはあるけれど、やっぱりイギリステイストは感じますね。そういう意味でも楽しい。

お暇で、スパイ映画に対する郷愁をお持ちの向きにはお勧めできる作品ですね。


ガイ・リッチー監督の『ジェントルメン』を観た。

2022年01月19日 07時00分00秒 | メディア日記
私にとってのガイ・リッチーは、かの初期名作の一つ『スナッチ』なんだなあ、としみじみ。

いや、面白くなくはないと思う。

イギリス(ロンドン)の麻薬地下組織のボスが引退を仄めかしたことで生じる次期裏社会権力の闘争、なんだけど、どこに転ぶか分からない感じが今ひとつで。

つまり、反転はあっても動きが今ひとつなんだよね。上手に描写するより、速度がほしい。
ま、旧来ファンのないものねだり、でしょうね。
他のガイ・リッチー作品、

『コードネームU.N.C.L.E』

ぐらいは観ておくかな。

ここまででU-NEXTの無料期間の試用は終了。退会しました。
とはいっても『ジェントルメン』はその中でも有料(399円?)だったんですけどね。