風月庵だより

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無題

2007-05-20 23:54:31 | Weblog
5月20日(日)晴れ【無題】(今は亡き友人のお母さんが描いて下さった合掌する童子です。これは転載不許可とさせて下さい。)

外に風が吹いている音がする。窓をほんの微かに開けておくと、風の音が聞こえてくる。今日は日中は暑いほどであったが、日が落ちる頃から気温は下がったようだ。

さて先週も目を覆いたいほどの事件があった。子の親殺し、それも猟奇的な殺し方でどうしてこのようなことができるか、誰も考えられないほどのことだ。特にそれが母であれば一層である。子どもの面倒を見に来て、その子に殺されるとは、母には全く考えられまい。一瞬でも目を覚ましたであろうから、いまだ悪夢の中にいるような状態なのではあるまいか。

このような場合、引導を渡す責任は特に重いであろう。

秋田の米山豪憲君が不慮の事故にあってしまったのは今月の17日であったが、あの事件も一年がたってしまった。あまりに次々に事件が起きてしまうので、前の事件は忘れ去られてしまっているようだが、うやむやにならないようにしてもらいたい。マスコミも、一つ一つの事件の後始末を報告してもらえると有り難い。

なぜこのように人間としての常軌を逸した事件を、日本の社会が生み出しているのか、真剣に考えなくてはならないだろう。現代は何を食べているか。実際に口にするものでも、心身のバランスを欠く食品が多いが、目にするもの、耳にするもの、手に触れるものなど、心身にとって影響を受ける多くのものが、バランスを欠くものであることを、改めて見直すことが必要であろう。

教育審議会などもあるようだが、是非考えていただきたいし、社会のバランスを保てるように、一人一人ができることを何かしら行動していきたい、と思う。僧侶の役割も大事だとつくづく思う。小さい子供たちには、特になにか話していきたい。きちんと話をすると、子供のうちは素直にきちんと聞いてくれる耳を持っている。

大人になってからでは遅い。この度の少年も、成績が落ちてしまったり、注目を浴びていた中学時代から一変しての高校生活の軌道修正をするチャンスはあったはずであろう。彼も、そしてアメリカの32人もの人を殺めた青年も観ていたという悪魔的なDVDのように、精神を害する作品のチェックは社会がしていかなくてはならないだろう。

そんな表面的なことではないという意見もあるだろうが、できることからなにかしなくては、日本社会はさらに危なくなるだろう。

あまりお役に立たない独り言を書きました。
今週も楽しくお過ごし下さいますよう。

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7 コメント

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甘やかしでんな (閑人)
2007-05-21 09:08:20
甘やかされて大きゅうなった親が子を生んでます。そんな親が子供を殺し、そんな親に甘やかされて育った子が親を殺す。色々おますやろうが、わては甘やかしも大きな原因やと思おうてます。わてらが小さい頃は、やましいことがあると、親や周囲の大人が恐おうてしょうがおまへんでした。きょうびのがきは、親や周りの大人なんか屁とも思おてまへん。
しからん親、しからん近所の大人が先ず反省せんといかんやろな。それと幼稚園、小学校低学年で徹底した道徳教育が必要でっしゃろな。日教組は反対やろうが。
ブログの字やら写真大きゅうしてもろうて、おおきに。色もライトブルーで夏は涼しそうでよろしいな。
季節によって色変えはったらどないでっしゃろ。春は黄色の花で始まるよってに黄色。その後はピンク、緑、ブルー、ブラウン、赤、冬はグレーか白。
余計なことゆうてすんまへん。
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閑人さんへ (風月)
2007-05-21 12:17:08
本当に甘やかされて育った子どもたちは気の毒です。私はいつも法事の席に子どもが居たら、「叱られて育ってね」と言っています。
親たちにも「叱らなくては子どもを駄目にしますよ」と言っています。
これは閑人さんと意見が一致しました。
昨日も子供たちが列席してくれましたので、縁の話しや空の話しや、叱られての話しをさせてもらいました。
どこまで理解していてくれるかは疑問ですが、なんとなく伝わってくれているのでは、と願っているのです。
最後に挨拶したときに、きちんと挨拶を返さない子どもに、挨拶は大事と、諭すことも忘れません。お節介の庵主です。

ところでいろいろと閑人さんのリクウェストによって工夫してみました。やはり字が小さかったと思いました。コメントも自由にしてみました。少し卑猥なコメントがあり、それを削除するのが面倒でしたが、公開の許可も面倒なのでまたしばらく自由方式にしてみます。、
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やはり育ち (春女)
2007-05-21 16:57:46
子供は白地で生まれてくるのか、清濁併せ持って生まれ来るのか分かりませんが、生まれつき悪で生まれてくる子はないと思います。自己が形成される過程(何でも受け入れる時代)でどう育てられたかが、重要だと思います。一端自己が形成されてしまうと、それが悪であろうと善であろうと、もう教育で変えることは難しいのではないでしょうか。形成された自己はもう選択的にしか(自己の都合の良いことだけしか)受け入れなくなり、自己が増殖していくのだと思います。
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子どもの時に (ぜん)
2007-05-21 22:10:33
こんばんは。
保育園までの「しつけ」とコミニュケーションが大切ですね。
そして、おっしゃるとおり、「いのち」を支える食事が、基本ですね。
自分の子どもには、多少問題意識を持ちながら接してきたつもりです。
うまくいっているかどうかは分かりませんが、親バカの眼で見れば、いい子どもたちだと思っています。

今日、届きました。
この場を借りて失礼ですが、ありがとうございました。
みんな喜んでいました。
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春女さんへ (風月)
2007-05-21 23:14:52
生まれつき悪で生まれてくる子はいない、というご意見には賛成です。
また或る程度大人になるまでのしつけは大事ですし、大人になってからでは遅いということも、私自身も書いていますが、しかし、全く修正できないかというとそうではないと言えましょう。

自己という凝り固まった永遠不滅の固まりのようなものがあるわけではなく、人間は縁に随って変わりうる存在でもあるわけです。そうでなくては救いがありません。

事実、私自身を観たとき、出家前と出家後、さらに修行時代、叩かれ、叩かれ、変わってきました。変わることのできない「凝り固まった自己」はないでしょう。

ただ幼児期、少年期の経験によって、反社会的になってしまう傾向はありうると思います。17歳位のときを思い出してみると、社会のこともあまり分からない不安定な精神状態であったのではないかと、思います。

危ない年齢を乗り越えてこられたのは、良き友に恵まれていたことは大きな力であったと思います。

この少年もどこかで歯車が暴走してしまい、歯止めが無かったことが残念です。
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ぜんさんへ (風月)
2007-05-21 23:23:07
躾は社会の一員として、此の世で生活していくのに、本当に大事と思います。この頃は社会も学校教育でも、ルールを教えなくなり過ぎた結果、暴走してしまうのだと思います。道徳教育というと堅苦しすぎますから、社会ルールの授業とか、名前を考えて授業としたらどうなのかとつくづく思います。

ところで、気持ちばかりでしたが、喜んで頂けて嬉しいです。マクロビオティック料理からですと甘いお菓子は駄目ですが、活動時期は多少は楽しみによいのでは、と思いました。

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形成された自己も変化する (春女)
2007-05-22 10:32:38
コメント有難うございました。
おっしゃるとおり一端形成された自己も変化します。例えば極悪人の死刑囚が悔い改めて、聖人のような気持ちで死んでゆくこともあると聞きます。被害者の遺族の感情としては、複雑でしょうが。これは蛇足でした・・・。
私が申しあげたかったのは、一端形成されると、外からの押し付け、即ち教育によって変えるのは困難なのではないかと言う点です。特に甘やかされて、我儘一杯に育った人間の場合。
勿論こう言う人間も、自己の内部からの声によってであれば、自主的に変化してゆくことは可能だと思っています。自己の内部からの声は当然外部からの教育を含む刺激に誘発される場合が多いのでしょうから、自己形成後の(善悪の)教育の効果を一概に否定するものではありません。
しかし変わる前に社会のルールと衝突して、玉砕してしまうケースが多いのが残念です。
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