3月26日(日)花曇り【供養記 納骨-人、死して残すもの】
今日は81歳で亡くなられた方の納骨であった。奥さんや息子さん夫婦、年寄りを大事にする二人のお孫さん、そして生前にご縁の会った方々に見守られて、納骨を済ませることができた。このようにごく自然に、暖かく見守られて、人間であったときの唯一の証を納めることができることは有り難いことだ。
人は何でも自分一人でできるように思うが、全てのことは、自分以外の人のご縁が無くては何もできることはない。衣食住のどの一つを取り上げてみても明らかなことである。そしてその最たることが、コトリとも動かなくなってしまった我が死せる肉体の後始末であろう。これこそは自分ではどうすることもできない事柄である。
お骨をお墓に納めるまでが、遺族として責任のある大仕事である。お骨に決して霊などが宿っていることはなく、それは生きた証の残骸のようなものであるが、残骸と思い切れないのが家族の心情であろう。特に急に亡くなられたような場合、なかなかに手放すことはできないほどであり、何年も家にお骨を置いておかれる家族もある。それも自然なことで、無理にすぐ納骨しなくても、気が済むまで傍に置いておかれればよいと思う。いつか時が流れて、自然に納骨をしようかという時が来るものだと、見ていて思う。
日本民族は、お骨に対しての思いが強い傾向にあるといえよう。インドでは岸辺のガートで焼かれて、そのお骨はガンジス川などの川に流される。ネパールに旅したとき、川の畔荼毘に付されていた光景を目にしたが、手足が組んだ木の上から出ていて、強烈な印象を受けた。やはり、骨になったら灰にして、川に流されるのだと聞いた。鳥葬という国もある。死体は物体として執着しない、というヒンズー教系の民族は、お骨を特別扱いしないのであろう。(しかしマハトマ・ガンジー師のお墓はデリーのジャムナ河畔ラジガートにある。)
一方、仏教系やキリスト教系の民族は、お骨にさえも特別な思いを捨てきれないといえよう。戦後の遺骨収集はその強い表れである。私も出家してから、父の遺骨を迎えに行ったときのことは忘れられない。詳しいことを書くのは控えるが、膝に乗せた父の骨箱が、コトリと音を立てたのを、東北線の車中で聞いた。これが父のお骨なのだと、その時あらためて思った。そして父のお骨は故郷のお墓に納めた。
長兄が亡くなったときもお骨については一悶着があった。長兄のお骨は、故郷のお墓に当然納骨するものと思っていた母の意に反して、長兄の家族は住まいの近くにお墓を造ってしまった。それではせめて分骨をと頼んだが、長兄が住んでいた辺りは、分骨をするとよくないことがおこるという迷信があるそうで、それも叶わなかった。母のために、それこそ一骨でもお骨泥棒をしてあげようかと、当時は思ったものである。
老尼自身のことでさえ、お骨にまつわるこんな話があるのだから、普通に納骨ができるということは有り難いことだと、身に沁みて思っている。納骨を任される度に、こうして納骨ができてよかったと、しみじみと心に思いつつ、勤めさせてもらっているのである。
しかし更に言うならば、私自身のお骨は、海や山に散骨してもらえれば、一番有り難いと思っている。散骨するには、お骨を砕いてもらわねばならないが、割合に簡単に砕けるものだから、満開の桜の木の下にでも撒いてもらえたら、どんなにか有り難いことであろうか。
さてさて、自ら死した後のことまでは心配せずに、空行く雲に任せよう。ただ静かに消えていくのみ。
*因みに大雄山最乗寺の道了様はそのご遺体を見たものが誰もいないというので、今でも大雄山に生き続けていらっしゃるという信仰がある。そして今でも制中配役の筆頭に、監寺道了和尚として張り出されている。
*輪廻転生については2月17日、25日、28日の記事に書きましたので、カレンダーのその日付をクリックして下さい。
*Dr.Owlのブログ、梵音は原始仏教の教えについて、深い思索に富んだものです。お訪ね下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/savaka
今日は81歳で亡くなられた方の納骨であった。奥さんや息子さん夫婦、年寄りを大事にする二人のお孫さん、そして生前にご縁の会った方々に見守られて、納骨を済ませることができた。このようにごく自然に、暖かく見守られて、人間であったときの唯一の証を納めることができることは有り難いことだ。
人は何でも自分一人でできるように思うが、全てのことは、自分以外の人のご縁が無くては何もできることはない。衣食住のどの一つを取り上げてみても明らかなことである。そしてその最たることが、コトリとも動かなくなってしまった我が死せる肉体の後始末であろう。これこそは自分ではどうすることもできない事柄である。
お骨をお墓に納めるまでが、遺族として責任のある大仕事である。お骨に決して霊などが宿っていることはなく、それは生きた証の残骸のようなものであるが、残骸と思い切れないのが家族の心情であろう。特に急に亡くなられたような場合、なかなかに手放すことはできないほどであり、何年も家にお骨を置いておかれる家族もある。それも自然なことで、無理にすぐ納骨しなくても、気が済むまで傍に置いておかれればよいと思う。いつか時が流れて、自然に納骨をしようかという時が来るものだと、見ていて思う。
日本民族は、お骨に対しての思いが強い傾向にあるといえよう。インドでは岸辺のガートで焼かれて、そのお骨はガンジス川などの川に流される。ネパールに旅したとき、川の畔荼毘に付されていた光景を目にしたが、手足が組んだ木の上から出ていて、強烈な印象を受けた。やはり、骨になったら灰にして、川に流されるのだと聞いた。鳥葬という国もある。死体は物体として執着しない、というヒンズー教系の民族は、お骨を特別扱いしないのであろう。(しかしマハトマ・ガンジー師のお墓はデリーのジャムナ河畔ラジガートにある。)
一方、仏教系やキリスト教系の民族は、お骨にさえも特別な思いを捨てきれないといえよう。戦後の遺骨収集はその強い表れである。私も出家してから、父の遺骨を迎えに行ったときのことは忘れられない。詳しいことを書くのは控えるが、膝に乗せた父の骨箱が、コトリと音を立てたのを、東北線の車中で聞いた。これが父のお骨なのだと、その時あらためて思った。そして父のお骨は故郷のお墓に納めた。
長兄が亡くなったときもお骨については一悶着があった。長兄のお骨は、故郷のお墓に当然納骨するものと思っていた母の意に反して、長兄の家族は住まいの近くにお墓を造ってしまった。それではせめて分骨をと頼んだが、長兄が住んでいた辺りは、分骨をするとよくないことがおこるという迷信があるそうで、それも叶わなかった。母のために、それこそ一骨でもお骨泥棒をしてあげようかと、当時は思ったものである。
老尼自身のことでさえ、お骨にまつわるこんな話があるのだから、普通に納骨ができるということは有り難いことだと、身に沁みて思っている。納骨を任される度に、こうして納骨ができてよかったと、しみじみと心に思いつつ、勤めさせてもらっているのである。
しかし更に言うならば、私自身のお骨は、海や山に散骨してもらえれば、一番有り難いと思っている。散骨するには、お骨を砕いてもらわねばならないが、割合に簡単に砕けるものだから、満開の桜の木の下にでも撒いてもらえたら、どんなにか有り難いことであろうか。
さてさて、自ら死した後のことまでは心配せずに、空行く雲に任せよう。ただ静かに消えていくのみ。
*因みに大雄山最乗寺の道了様はそのご遺体を見たものが誰もいないというので、今でも大雄山に生き続けていらっしゃるという信仰がある。そして今でも制中配役の筆頭に、監寺道了和尚として張り出されている。
*輪廻転生については2月17日、25日、28日の記事に書きましたので、カレンダーのその日付をクリックして下さい。
*Dr.Owlのブログ、梵音は原始仏教の教えについて、深い思索に富んだものです。お訪ね下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/savaka
私も散骨でもいいんですが、後代のことを考えると、型どおり歴代墓に埋葬されるのもいいかなと思っています。
さて、
>今でも制中配役の筆頭に、監寺道了和尚
とのこと。
これは驚きですね!
私も大雄山に、高校時代特殊安居した経験がありますが、知りませんでした。。。
でも、そう言えば大雄山には、監院老師はいなかったですね。
確か、山主老師の次には、「紀綱」という聞きなれない役名の老師がいらっしゃいました。
私の大叔父さんが、紀鋼をされてました。
私も紀鋼という役職があることは、知りませんでした。
その大叔父さんもそこを勇退し、現在は山梨のお寺に奉職しております。
かずさんの大叔父さまは紀鋼老師だったのですか。山主老師、道了さまにつぐ重要なお役です。いつ頃なのでしょう。大雄山は不思議なことが多いお寺ですから、老師からきっと興味あるお話をお伺いできることでしょう。私が安居している時代のかたでしたら宜しくお伝えください。