1963年8月に人種差別撤廃をスローガンに掲げた公民権運動のシンボルソングを提供し社会派フォークの旗手と見られたボブ・ディランは人々の期待とは裏腹に自分自身の道を歩んだ。ロックバンドで臨んだ1965年7月25日の第5回ニューポート・フォークフェスティバルでは「ユダ!」とののしられ、訣別のためにアコースティックギターで涙ながらに
It's All Over Now,Baby Blue を歌った。
ところがそのフォークファンに攻撃を受けた曲Like A Rolling Stone がその1965年September 18付けキャッシュボックス誌でトップに立っている。
そしてその次の週、September 25には バリ-・マクガイア(Barry McGuire)の Eve Of Destruction が入れ替わりに首位になった。これまたディランの作風を継ぐような歌だった。63年からビートルズ出現の64年65年へと時代は大きくうねり混沌としていたのだ。
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