monologue
夜明けに向けて
 



 1964年、マリアンヌ・フェィスフルというオーストリアの名門貴族ハブスブルグ家の血を引くかわいい小鳥 がショービジネスの世界に舞い降りた。その曲はビートグループNashville Teens も競作していてサラサーテのバイオリン曲「ツィゴイネルワイゼンZigeunerweisen」 の「ソ、ド、レ、♭ミ」で始まる哀愁をおびた印象的な旋律をポップスにうまく仕立てているようであった。

 マリアンヌ・フェィスフルはローリング・ストーンズの 涙あふれて でデビューしてその愛らしい容姿と歌声でアイドル的存在になった。この映像でかの女を紹介しているのはなんとビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタイン(BRIAN EPSTEIN)である。かれはビートルズを世界的グループにしたと思うと先を急ぐように1967年8月27日にアスピリンの過剰摂取で不可解な死を遂げる。

 マリアンヌはミック・ジャガーの恋人として有名になるがドラッグと酒で身を持ち崩した頃、全裸で倒れているところを警察に見つかったと、マーズ・バー事件(Mars Bar incident)と呼ばれるゴシップを新聞に書き立てられる。のちにあれはでっち上げだったと回想しているが生い立ちや容姿、生活がロンドン市民達の注目を浴びるにふさわしかったらしい。現代のブリットニー・ピアーズのようである。非難中傷にめげず生き抜きソニーとシェールのI Got You Babe をディヴィッド・ボウイーとカバーした時は酒のためか声質がかなり変わっていた。

 女優としても才能が認められ、アラン・ドロン主演の1968年公開の映画『あの胸にもういちど』 ではヒロイン、レベッカを演じた。このヒロインが『ルパン三世』のマドンナ「峰不二子」のモデルとされている。

 そして時は過ぎゆき1990年、ベルリンで公演されたロジャー・ウォータースのロックオペラ『ザ・ウォール』 では主人公の過保護母 を演じた。そんな年代になっていたのだ。

 あのわたしたちの青春時代のアイドル「かわいい小鳥」は成長して「不二子」になり母鳥になったが曲の最後の詞「Is when that little bird die?」は自問だったのだろうか、とふと思う。いつまでもいつまでも飛び続けてほしい。
fumio


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