monologue
夜明けに向けて
 



2000年6月、元ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(Lewis Brian Hopkin Jones )が、1969年7月3日、溺死していたサセックス州コッチフォード農場のプールのタイルすべてが改築工事のため競売にかけられるというニュースが流れた。改築されればもう過去に遡ってかれの死の原因を調べることは不可能になる。7月2日の深夜12時過ぎ、コッチフォード農場の自宅プールの底に沈んでいるところを発見され、病院での検死結果はアルコールとドラッグの影響による溺死という不可解なものだった。

 ブライアンは、作家C・W・ニコル氏の高校の後輩で天才肌のアーティストだった。ブルースを追求し、 Elmore Jamesのボトルネック奏法によるスライド ・ギターをコピーし「エルモア・ルイス 」と自称していた。「ブルース・インコーポレイテッド」のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのブルース・スライドギター・ワークを目の当たりにしたミック・ジャガーとキース・リチャードが衝撃を受けたのは当然だった。普通に正当派ギターを習って弾いている若者が予備知識なくエルモア・ジェィムスの野性的三連スライド弾きを聴かされるとオープンコード・チューニングを知らないのでわけがわからなくなる。ボトルネック奏法とはウイスキーやビールのボトルのネック部分を熱した針金を巻いたりやすりで切って薬指や小指にはめてギター弦にこすり滑らせる奏法だが初めて聴くとギターでそんな演奏ができるのかと驚く。ブライアンはハーモニカ、ピアノ、シタール、ダルシマー、メロトロン、木琴、マリンバ、リコーダー、クラリネットとなんでも手を出し弾きこなしてその音楽的才能をきらめかせた。

 ブライアンはバンド・メンバーを集めザ・ローリング・ストーンズを結成してビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの宣伝担当のアンドリュー・ルーグ・オールダムをマネージャー兼プロデューサーにした。バンドは1963年6月にチャック・ベリーのカム・オン でレコードデビューした。ブライアンはブルース中心に音楽を深く探求してゆく方針だったがマネージャー、アンドリュー・オールダムはビートルズのようにオリジナル曲を書くことを勧めた。それでミック・ジャガーとキース・リチャードはコンビで曲を書き始めた。しかしブライアンは芸術家肌でポップヒット路線にはなじめなかった。ボーカルのミックがスポットライトを浴びキースは自作曲のリフで派手にジャンプしたりして目立つのにブライアンは隅でタンブリンを叩いたりするようになっていった。いつのまにかオールダム、ジャガー、リチャードの三人体制ができあがり、気が付くとブライアンの居場所がなくなっていたのである。

 そして1969年6月にブライアンは正式脱退表明し、7月3日に自宅のプールで溺死しているのを発見されたのだ。

 かれはただローリング・ストーンズを結成するために生まれてきたのだろうか。27年の短い生涯でなにを捜しにきたのだろうか。そしてそれは最期に見たプールのタイルに映っていたのだろうか…。
fumio


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