monologue
夜明けに向けて
 



ジャンとディーンの全米ナンバー1 ヒット「サーフ・シテイ」を一緒に作ったのは友達のブライアン・ウイルソンであった。かれはサーフィンはできなかったけれど音楽の才能があった。兄弟親戚友達を集めビーチボーイズを結成してカリフォルニアの若者たちの生き様をとらえた、サーフィンやホット・ロッド音楽を世界に送り出して時代を揺り動かしたのだ。そのうち特筆すべきはかれのアイドルであったチャック・ベリーのSweet Little Sixteen を下敷きにした Surfin' USA である。その曲は米国にとどまらず世界中でヒットしてサーフィンブームをひき起こした。わたしたちの島国にもその波は波及してサーフィンそのものはできなかったがサーフィンという名前のダンスは踊ってみたものだった。

 ビーチボーイズでドラムを担当したデニス・ウイルソン は見かけがいいのでアイドル視されセックス・シンボルとしてもてはやされたがグループでただひとりサーフィンが得意だったのに1983年12月28日深夜、ロサンジェルスのヨット・ハーバー、マリーナ・デル・レイで泥酔状態のままヨットから海に飛び込み39歳で水死した。自殺とも事故死ともいえる不審な死だった。アイドル視されたりもてはやされることに耐えきれなかったのだろうか。ポップ界の人気者はなぜか不幸な死に方をしてしまうことが多い。合掌。
fumio

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