大島渚監督といえば、大島渚監督の母校に京都市立洛陽高等学校という高校があった。現在は京都市立洛陽工業高等学校となっていてタレント島田伸助の実家の町のあたりに位置している。わたしが入った高校はベビーブーマーのために急遽新設された公立高校のため柔道部の道場がまだなかったのでその洛陽工業高校の柔道部まで自転車で出向いて練習した。そんなわけで大島渚監督はわたしの大先輩のような気がするのである。
そこで練習していると大学に行っているという先輩がやってきて上級生と新入生で試合をしろという。試合を始めてしばらくしてわたしの番がきて上級生を3人大腰で破るとその先輩が俺とやろうと挑んできた。さすがに強くて技をかけようとしてもかわされてしまう。必死で崩そうと動いたが崩れず頭を押し下げられる。しかたなくそのまま猪のように前進を続けたが先輩はその力を利用してわたしの襟をたぐり込んでいた。なにか苦しくてもがきながらふりはらってその姿勢から逃れようとしていると、意識が遠ざかった。幼い頃の思い出があふれ出す。イヤだったこと、夢で何度も見た景色、つぎから次に場面が変わる。自分のこれまでの一生を見ているようだった。自分は今どこにいるのか…。空中にいるのだろうか、やがて背中に衝撃が…。ふっと気付いて見まわすとまわりに上級生たちが集まっている。おまえ、気絶してたんやぞ、そこで休んどれと道場の隅に連れてゆかれた。背中が痛い。深く落ちていたので激しく活を入れたらしい。わたしはそこに座ったままどうしてそこに自分がいるのか考えていた。柔道の稽古に来ているということもわからずただ呆然としていた。それがわたしの意識がわたしの身体を初めて離れた体験である。その後首を絞められて気絶してもすぐに意識は戻り柔道の稽古であることは理解できるようになった。
人は死ぬ前に自分の一生を見るというのは本当のことと思われる。普段溢れないようにしてあるシステムが気絶によって外れてしまうらしい。前世の記憶もつながっているのかもしれないと思っている。
fumio
| Trackback ( 0 )
|