monologue
夜明けに向けて
 



さて熊野のゴトビキさんがわたしに、どうだ、意味がわかるか、と挑んでいるようなので簡単に語源を検索すると南紀の方言で蟇蛙(ひきがえる)のことをゴトビキとかゴトヒキと 呼ぶ、ということくらいしか見あたらずどうしてヒキガエルをゴトビキというのかという本当の深いところはわからない。自分で真剣に考えて答えを見つけなければ許してもらえないらしい。

  まず初めの濁点をとってみると「コトビキ」で「コトブキ」に似ている。「ゴトビキ」と「壽」ではあまりにも響きや字面の印象が違うがそれがゴトビキさんの狙いなのだろう。

 蛙はゴートやゴータ、ゴトウと呼ぶ地方が多い。ヒキガエルを「オンビキ」と呼ぶ時、漢字にすれば「御蟇」であるということを考えれば「ゴトビキ」は自然にヒキガエルのことになる。新宮地方のお燈祭りのヒキガエルはどうも「火気蛙」ということのようだ。ヒキガエルはもちろん西洋ではバアルのひとつの頭なので火炎龍である大天使ルシファーとも関わるのだろう.

 デジタル大辞泉によるとヒキガエルのもうひとつの漢字、 蟾蜍とは 「せん‐じょ」
1 ヒキガエルのこと。
2 《西王母(せいおうぼ)の秘薬を盗んだ嫦娥(じょうが)が月に逃げてヒキガエルになったという「後漢書」の伝説から》月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと。

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ということ。

 熊野の「ゴトビキ」さんはこれらすべての属性を携えて岩に降臨されたようだ。結局、姿はヒキガエル、その気は「火」その性は「壽」、西洋ではバアル、天体は「月」、そして働く時「火炎龍」に変ずるのであろう。「ゴトビキ」というキーワードでわたしが現在導きだせる答えはこれだけである。
fumio

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