monologue
夜明けに向けて
 



宮下フミオの自宅、カールトンウエイスタジオをわたしが初めて訪れたその日、ショーケン、ジュリーのダブルボーカルバンド「ピッグ」やミッキー・カーチスの世界ツアーバンド「サムライ」、ガロの「学生街の喫茶店」「太陽にほえろ」「ガンダーラ」などでドラムを叩いた原田裕臣(ユージン)が日本に帰って行った。楽器用ジェラルミンケースを記念に中島茂男に譲ってくれたのでマイク、ドラムマシン、フェイズシフター、ファズ、オーバードライブ、テープエコーマシンなどエフェクター類を入れて運ぶのにずいぶん役立った。白龍飯店(インペリアルドラゴン)は台湾系の店だった。女性マネージャーはオーナーの娘で気が強くて中島が交渉してもこちらの話を半分も聞いてくれなかった。デイスコダンスパーテイを開催したいという。デイスコダンスならドラムマシンというわけにはゆかない。本物のドラムスでなければまともに踊れない。ところが頼むべきドラムスのユージンは日本に帰っているので困った。それでもペイが良かったのでダンスパーテイを引き受けてドラムスは本職ではないけれど一応叩くことができる宮下フミオにドラムを頼んだのだった。わたしはベースを弾きながら「ホールドオン」「エボニーアイズ」「プラウドメリー」「カントリーロード」「ウーマンウーマン」「ホテルカリフォルニア」などなど踊れそうなアメリカンヒットナンバーをなんでもかんでも歌った。。白龍飯店(インペリアルドラゴン)はそのたびに大盛況だったので大騒ぎのうちに大家族で食事をしたあとぱっと消える、食い逃げなどの被害によく遭っていた。女性マネージャーがまたやられたと悔しがっていた。そんなことがあってSFでも宮下フミオがドラムを担当することになったのである。
fumio



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