現在、ロンドンで開催されているオリンピックの柔道競技を見るたびに柔道を世界のスポーツにしたアントン・J・ヘーシンク、 (Anthonius・J・Geesink、1934年4月6日 - 2010年8月27日)の天理大学での練習風景を思い出す。
1964年に行われた東京オリンピックで、アントン・J・ヘーシンクは柔道の無差別級に出場し、決勝戦で日本代表の神永昭夫を袈裟固一本で下して金メダルを獲得した。神永は抑え込まれてほとんど気を失いかけていた。そのとき、日本チームのロッカールームからは泣き声が聞こえ日本中の柔道家が無念の思いに苛まれた。 ヘーシンクは「この大会で日本人が優勝していたら柔道は地方のスポーツと見做され、1972年五輪の正式種目となる事はなかっただろう」とのちに語った。その通りだと思う。今、世界中に柔道が普及して当然のことのようにオリンピックで世界の選手が活躍するのはあの日本にとって辛い出来事が発端となったのだろう。
世界チャンピオン、アントン・J・ヘーシンクが天理大学に練習に来るというのでわたしの学校は見学に招待され日本の代表選手たちと練習するヘーシンクの柔道を畳の上に並んで座って見つめた。目の前にあるヘーシンクの足は親指が立って畳をつかんでいるようだった。日々の練習で倒れないために変形したようだった。初めは普通に乱取りしていたかれはいくら技をかけてもかからない相手を突然引きずりまわしのしかかった。ものすごい力だった。抑えられた選手は身動きできず圧迫されつづけた。呼吸ができず気を失いかけている。神永もあの圧力を受けていたのだ。練習なので審判が30秒で一本といってやめさせない。それは大会で見るようなきれいな柔道ではなく荒々しい柔道だった。わたしたち見学者はヘーシンクのおそろしいほどの強さをまざまざと見せつけられてことば少なに帰っていった。あれからもう何年たったのだろうか…。
fumio
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