(前の記事からの続き)
性的なことに奥手だった僕に対して、
心子のほうから 恥じ入りながら求めたことはあっても、
積極的なものではありません。
心子も性的なことに対しては 堅い人間です。
恋人として付き合い始めて やっと結ばれましたが、
心子とのセックスは 極めて魅力的なものでした。
> 頻繁に 情熱的に 大胆に
であったこともありますし、 優しくソフトだったこともあります。
でもトラブルがあると、 心子はまた僕から離れていき、
その間は 性的な関係も絶たれますが、 元に戻るのは 常に時間の問題です。
ランディさんは、 刺激的な時期は 数日から数年と述べていますが、
心子は 1年半ほどで旅立って行ってしまったので、 その期間の比較はできません。
ただ セックスを駆け引きの条件にしたり、 何かの手段や道具にすることはなく、
心子にとってセックスは この上なく純粋なものでした。
心子は、 愛し合うことを 「ひとつになる」 と表現し、
二人の究極の一体感を求める 象徴だったのだと思います。
また、 心子は キリスト教の教会に通っていましたが、
ある時期から 洗礼を望みました。
傷つき苦しむことが多く、 自分は罪深い人間だから と言って、
限界のある 人間の愛ではなく、 神の際限のない愛を 希求したのです。
「あたし、 神様の子供になるの」 と。
けれども受洗をすると、
夫以外の男性と 肉体関係を持ってはいけないということです。
心子はその覚悟のつもりで、 もしセックスがないために 別れるのだとしたら、
それも仕方ないと言っていました。
(が、 洗礼の前に 神に召されていきました。)
心子が セックスを、 愛情を得るための 取り引きの道具にしていなかった 証です。
しかし 誰よりも孤独に耐えられず、 密接な触れ合いを 欲していた心子が、
愛し合わないことに 耐え忍べたのかどうか、 保証はありません。
(次の記事に続く)