ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

「専業主婦のリスク」

2006-10-12 21:03:57 | 時事
子ども・家族にかけるお金を考える 高橋希代子
第20回 専業主婦のリスク ― 離婚の危機、年金、子どもへの影響は ―
 かつては、「永久就職」とか「3食昼寝付き」と呼ばれてきた「専業主婦」は、相対的に、かならずしも居心地のよいポジションとは言えなくなってきている。とはいえ、まだまだ「結婚したら働きたくない」とか、もっと言えば、「高収入の男性と結婚してセレブになりたい」と、専業主婦を夢見る若い女性たちも少なくない。

(中略)

 堂々と「専業主婦です!」と言えた時代は、もう終ろうとしている。妻に収入があることは、夫にとっても、そして子どもにとっても恩恵をもたらす。終身雇用の時代は終わり、変化の激しい今の時代を生き抜くうえで、妻になっても母になっても収入を得ることは、家族全員にとって大きなリスクヘッジといえる。

 ちなみに、高収入の夫と結婚しても一生セレブな暮らしができるという保証はどこにもない。高収入が永遠に続くとは限らないし、離婚や死別の可能性もある。また、先祖から多大な遺産を相続しても、案外、妻が自由になるお金は少ないのが現実のようだ。そして、お金は使い続ければ、やがてなくなるもの。

 専業主婦でも、社会性のある人はいるに違いない。せっかくの能力を家庭内だけで使うのはもったいないことだ。情報とスピード、そして激動の時代を迎え、家族や家庭に貢献していた女性の役割は、活動の範囲を広げ、社会に貢献すべき時が来たのではないだろうか。


 妻が専業主婦になるという家族形態は、逆に言えば、夫の雇用と収入が安定していることが前提となってできた仕組みではないかと思う。この前提が、今は崩れている。

 となれば、妻が「専業主婦」として家事全般と育児に専念するという仕組みもまた、この時代ではいくつかの前提が満たされて初めて合理的な結婚・家族の分業形態でしかない。もちろん、その前提のひとつとして、結婚が長期的に安定的なものであるということも考慮に入れておかねばならない。離婚率が上がっている今は、それもまた不確定要因ととらえる方がいいかも知れない。
 

なぜ今になって公開に?

2006-10-12 12:57:54 | 時事
[靖国神社]32年ぶりに「鎮霊社」一般公開へ
 靖国神社(東京都千代田区)は12日から、境内に戦後創建されながら長く一般の参拝対象にしていなかった「鎮霊社」を32年ぶりに公開する。本殿脇にありながら、ほとんど存在も知られておらず、「合祀(ごうし)前のA級戦犯を祭っていた」との説もある。同神社は「以前から参拝要望があったため」とA級戦犯問題との関連は否定している。

(中略)

 祭っているのは、1853年のペリー来航以降の日本の戦没者と、世界中で戦争のため亡くなったすべての人々。同神社が国に殉じて亡くなった246万人余りを祭るのに対し、それ以外を対象とする。政府に対する「賊軍」にあたる西郷隆盛や白虎隊なども含まれるとされる。


 鎮霊社についての管理人見解は以下のブログ記事にて。
鎮霊社
興味深い記事だから貼っておく

 それにしても、なぜに今になって「公開」に。

愛国心教育だけで21世紀の日本を養えるだろうか

2006-10-12 12:57:32 | 時事
大前研一 「産業突然死」時代の人生論
第49回
安倍首相に望む――遅くとも半年以内に成果を上げよ


 次に教育については考えてみよう。道州制や税制を、国を変えていくハードな仕掛けとすると、教育は国を強化するソフトな仕掛け、と呼ぶことができる。安倍さんは教育改革を柱の一つに挙げているが、これについては「論外」である。第一、彼の言う新しい教育基本法はさきの通常国会で通るはずだったのが駄目になった、あれだろう。愛国心を植えつけようとして失敗したわけだ。自民党と連合している公明党は、国だけでなく、池田大作氏や日蓮上人をも愛している人たちだ。だから国をどれくらい愛するかという表現で公明党や民主党ともめたわけだ。

 ところが、安倍さんにとっては、「アイ・ラブ・マイ・カントリーと言え」というのが唯一の教育基本法改正だ。あれをもう一度、提出しようというのだから、論外としか言いようがないのである。

 そもそもなぜこうした問題が今日繰り返されているか、と言えば、今の教育基本法が終戦処理の産物であった新憲法の下に作られているからだ。だから国を愛するということができなくなった、というのが新・教育基本法論者の言い分だ。それはその通りだろう。しかし愛国心の欠如は先進国共通の問題である。生活が豊かになると、国のことよりも家族とか友人とか、半径50メートルのことに関心が移る。国がいい仕事をすればするほど、国のありがたみが忘れられる、という宿命にあるのだ。日本もそういう段階に来ている。

 ただ、日本は戦後すぐの時期に、あまりにも占領軍や共産党・日教組の影響が強かったので愛国心を植え付ける教育に臆病になった、ということは事実である。だからわたしはそうした状況を「普通の国」並に戻す、という事にあえて反対はしない。

 問題はそこから先である。安倍さんが戦後最も若い首相として登場したことの真の意義は過去の歪みを直すことではないはずだ。21世紀、日本は何で飯を食っていくのか、いかに今までと同様、あるいはそれ以上の生活レベルを、グローバル競争にうち勝って維持していくのか、ということが彼の課題であるはずだ。

 そのためには、先の国会に提出された教育基本法では全く不十分である。要するにどういう人材を育てようとしているのか、日本のメシの種をどこに求めるのか(それには人材育成しかないはず)、がまったく配慮されていないからだ。農業はアルゼンチンとオーストラリアにかなわない。製造業も中国やベトナムにシフトする。知識集約型のナレッジワーカーも今ではインドの方がコストが安く優秀、ときている。1億人を何で食わしていくのか。ゲームとアニメ、というわけにもいかないだろう。

 世界をまたに経営力や創造性で勝負するには「欧米に追いつけ、追い越せ」の今の教育システムでは全く不十分だ。北欧型の教育にするか、能力あるハングリーな移民を刺激剤として使い続ける米国型にするのか、それとも前人未踏の新しい境地を切り開くのか、が問われている(ここでは詳述しないが、わたしはそれらの混合モデルを提唱している)。

(中略)

 21世紀の教育の特徴は「答えのない世界」でいかに答えを見つけだすか、仮説を立てて検証したり、議論したりしながら答えに迫っていく。ひとたび答えだと信じるものがあれば、それを実行に移す勇気を持つ、などが鍵となる。模範解答とか、指導要領、などの概念そのものが無用の長物になるのだ。そうなると今までの教師には教えられない。文部科学省も指導要領を書くだけでは済まなくなる。

(中略)

 新しい社会に対応した世界的な競争力ある人材の育成、リーダーの育成、想像力あふれる人材の大量輩出。これが教育改革の中心課題でなくてはならない。本当に国を愛する人なら表面的な愛国新教育ではなく、どこに出しても勝負できる人材を生み出す国を作って国家に貢献するに違いない。


 教育に関する歴史認識については大前氏の書いていることに全部同意しているわけではないが、教育は国の基幹産業を支える人材づくりの基盤という認識ではまったく同意だ。

英語ネイティブでも文法チェックで意味違い^_^;

2006-10-12 00:17:16 | 時事
 不定冠詞のaがあるのかないのか、定冠詞のtheをつけるのかつけないのか、英語ネイティブでない自分には仕事でe-mailを書くときに結構悩みの種です。

 しかし、英語ネイティブの人にも微妙な判断があると聞くと、ちょっと安心したりして。

「文法ミス」の汚名解消か アポロ名言をハイテク分析
1969年に人類初の月面着陸に成功したアポロ11号のアームストロング船長(76)が発した「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」の名言をめぐり、「文法上の誤りでは」との汚名が11日までに、37年ぶりにハイテク技術によりそそがれる可能性が高まった。
 名言の前半部分は正しい文法ではThat’s one small step for a man,となるが、不定冠詞のaが聞こえず、manのままでは「人類」の意味となり、結局「人類にとっては小さな一歩で、人類にとって大きな飛躍だ」と意味不明な文章になってしまう。
 船長は一部から文法ミスを犯したとの汚名を着せられていた。


 確かに、"a"があるとないとでは、文脈から想像される"man"の意味が違うんですよね。"a"がついて初めて、「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとって大きな飛躍だ」という意味が成立するわけです。

 本当に、冠詞は難しいなぁ……。

黙祷・鶴見和子教授

2006-10-12 00:06:38 | 時事
 ネットで偶然発見した記事。

<しのぶ会>鶴見和子さん=社会学者、上智大名誉教授

 7月に亡くなっていたのですね……黙祷。

 門下生というほど濃密な師弟関係ではなく、卒論を前提としないゼミ論を受講しただけのお付き合いでしたが……和服をきりりと着こなして大学の授業をこなすというお姿を今でも覚えています。

 20年以上も前のこととて、どんなお話を伺ったか、かなり忘れてしまっていますが……比較文化論、日本のタテ社会における女性の位置づけ論を拝聴した記憶がかすかに残っています。講座を受けた影響かどうかはわかりませんが、均等法以前の時代に鶴見先生や緒方貞子先生と大学で接点があったことも自分が思ってる以上に影響されていたのかも知れません。

 ご冥福をお祈りします。