ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

エンゲージメント

2007-04-16 20:54:17 | しごと
 先日の英語でのレクチャーで、「日本人にとって雇用は単なる契約ではなく長期のエンゲージメントだ」と説明した。

 改めて、エンゲージメントとは。

Human Valueのサイト:エンゲージメント
 エンゲージメントという言葉は、辞書では「engagement . 約束、約定、婚約、用務、交戦、かみ合い、債務」(「新編英和活用大辞典」研究社)と記されています。これは「強い結びつきや絆」を表す言葉です。
 個人と組織の『エンゲージメント』とは、「組織(会社)」と「個人(社員・構成員)」が一体となって、双方の成長に貢献しあう関係のことをいいます。
具体的に、組織と個人がエンゲージメントしている状態は以下のような姿ではないでしょうか。

・「個人の成長や働きがいを高めることは、組織の価値を高める」という捉え方に基づいて仕事を行い、それを実感している
・「組織が成長することが、個人の成長や働きがいを高める」という捉え方に基づいて仕事を行い、それを実感している


 今や日本の雇用慣行が変わってしまったので現状では当てはまらないが、日本の戦後の長期雇用の慣行はまさしくこの「エンゲージメント」を前提とした仕組みであったのだと思う。そして、江戸時代に大店《おおだな》で用いられた雇用の仕組みも、エンゲージメントを利用しつつも、10年単位で人を篩にかける仕組みを組み合わせており、雇う側にとっては実に有利なエンゲージメントの仕組みだったんだなぁと思う。

 雇用について様々な形態が出てきた今は、雇用形態が違うワークフォースに対して、異なる形のエンゲージメントが必要なのかな……まだ、具体的な形は見えないが。


リーダーシップ・パイプライン

2007-04-16 20:50:04 | しごと
 やっと自分の仕事の実態に近い話題になってきた……。

野々村人事部長の歳時記
 日本企業のリーダーは自信と信頼を取り戻せるのか?
 野々村さんたち、管理職にとっては驚きのデータがある。
マルコーだけでなく、日本企業の多くのリーダーが自信を失っているのだ。世界各国でリーダーシップ研修を提供しているDDI社の調査によると、日本企業のリーダー(現場リーダー、ミドル、経営層のすべてを指す)の6%しか、リーダーとしての自分に高い自信をもっていないという。日本人は謙遜する傾向があることを勘案しても、調査対象国42カ国の平均の54%と比べると、日本企業リーダーの精彩のなさが際立っている。

 そんな日本企業のリーダーたちを、部下たちはどう思っているのか?人事・組織コンサルティングを世界各国で行っているタワーズペリン社の調査によると、上司である管理職や経営者のマネジメントの質が低いと答えた割合は、日本では回答者全体の40%に達する。これは、調査対象16カ国中、最も高い値。つまり、日本企業の上司は、部下から管理職として世界でもっとも信頼されていないのだ。

●リーダーの経験をする機会が減ったことが原因
 どうして日本のリーダーは“自信”も“信頼”も失ってしまったのか?野々村さんの疑問に答えるべく、現場の声を総合すると次のようなことが言えそうだ。

 まず、成果主義の浸透で、プレーヤーも兼ねるプレイング・マネジャーが増えている。そのため、リーダーとしての意識を高めることができない。リーダーとして組織を束ねたり、部下を育てたりすることより、自分自身や自部門の業績を強く問われるため、どうしても目先の成績に目がいってしまう。結果として、いつまでも“優秀なプレーヤー”の域を出ることができない。

 事業の縮小や組織のフラット化で、リーダーの経験を積めるポジションが減ってしまったことも痛い。最近、部長代理、担当課長、グループーリーダーといった、どんな権限と責任があるのか、名刺を見ても分からない人が増えている。予算と人事を決める立場にならないと、真の組織リーダーとして意思決定、行動する経験はできないものだ。

 また、日本企業のリーダーシップ教育は、実践の場を盛り込んだものが少ない。先程引用したDDI社の調査では、会社が提供するプログラムの中で、リーダーシップを磨くのに「とても役立った」と答えた人の割合が一番高いのは、「プロジェクト活動」で、全体の半数以上に達する。ただ、実際にプロジェクト活動の場を設けている企業は、日本では10%と調査対象国平均の26%に対し半分以下。

 実際の仕事でも、教育プログラムでも、日本企業のリーダーたちは、リーダーとして実践の経験を積む機会に恵まれていない。DDI社の調査では、日本企業の回答者全体の7割は、リーダーの役割を経験する機会に満足していない。

●リーダーは自然に任せても育たない

(中略)
 内外の著名な経営者は、「人は経験を通じてリーダーとして育っていく」と、指摘している。ゼネラル・エレクトリック(GE)の前会長兼CEOのジャック・ウェルチ氏は、「われわれが経営しているのは、優秀なリーダーを育て上げるための人材工場なのだ」と、経営者の第一の役割は次のリーダーを育てることだと言い切っている。実際、ウェルチ氏は、現役時代には毎年クロトンビル研修所(GEの企業内大学)で自ら教壇に立ち、そこで直接参加者たちを指導することに心血を注いでいた(出所:『ジャック・ウェルチわが経営』ジャック・ウェルチ、ジョン・A・バーン著 日本経済新聞社)。

 また、経営の神様、松下幸之助翁も、「人は鍛えられることによっていくらでも成長する。だから指導者は、人を鍛えることに大いに意を注がなくてはならない」と、指導者が自分の後進を育てることの大切さを説いている(出所:『指導者の条件』松下幸之助著 PHP文庫)。


 その通り。研修部門がどんなに頑張っても、その前後に仕事でリーダー経験を積まなければ、リーダーとして自分が適切な行動を取っているかを顧みる意識も持てないし、研修で学んだこと(習ったこととは限らない……リーダー教育は、職階が上になればなるほど、実地で得た体験を振り返って自分に問い直すという「学び」の行動が必要だ)を現場で発揮する機会も得られない。逆に、研修などの場で理論を学んだり自分の体験を振り返る機会を持たなければ、リーダーとしては経験からの蓄積から来る体験論だけで終わってしまう。

 だから、このコラムでも言われている「リーダーシップ・パイプライン」を、現場と研修・人材開発部門とのパートナーシップの下に、現場の仕事と学びの場を組み合わせてデザインして提供することが、重要だ。

 自社のことを考えると、先日、ある事業部のアジア太平洋地域の事業部長の会合に出た時に、各国・各地域の事業部長が主に現地出身の30代後半の若い人たちに世代交替していることに愕然とした。日本の事業部にいると、事業部長は50代になって「上がり」のポジションになってしまうのだ……もっと、若いリーダー候補を積極的に育てなければ。