玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

途中で違った

2019-08-03 01:24:43 | 知識
 江戸時代将軍様ご使用の御膳が展示されている施設に行くと小学校入学前の記憶が懐かしいと言っている。

 保育園も幼稚園もなかったので小学校に入学する前の記憶だが御膳を使って正座して食事をしていた。
 それがいつのまにかテーブルに置き換わった。背の低い祖母は子供扱いだった。そしてこたつ兼用のテーブルになって和気あいあいになるはずだった。

 御膳で食事していたころは板の間に各自座布団を敷いてきちんと正座していた。あまり話をしないで黙々と食べた。席順はきまっていた。一番偉いのは曾祖父で次が祖父、祖母、ーーー
 そのうち板の間に畳が敷かれた。冬でも暖かくなった。

 テーブルになってお互いがグンと近くなった。席順はきまっていたがものすごい違和感があった。テーブルは台所に置かれた。食事の時間はずいぶん短縮した。大人は何か忙しくなった。

 こたつのテーブルになっても違和感が同じだった。畳を敷いた元の板の間に置かれたのでゆっくりとできるようになったが。
 しかし、御膳で食事をした子供は大人を遠くに感じた。大人は遠い遠い存在だった。それが一つテーブルになっていきなり近くなった。箸が届くところまで。

 畳にしたのも母でテーブルにしたのも母にちがいない。時代の変化に追いつこうと精一杯だった。御膳などの道具はすべて処分された。

 穀物菜食の人間はこのごろ御膳を使ってみたくなった。将軍様ご使用の見事な御膳を見ると大人を遠く感じた子供の時が懐かしい。

 周りに穀物菜食をしている人はいない。大人はいても食べ物の感覚としてはるかかなたに離れに離れているので御膳がピッタリだ。
 御膳にきちんと正座できるのかどうか、左膝はお尻に着かない。椅子に座っているとそんなことも気がつかない。正座の前に難問を解決しないと。

 昔の人は正座ができたのだ。重労働と言われる作業を長期間続けてなぜ、膝がまともなのだろう。現代の農業に比べ、粗放というような言葉が当てはまったのかもしれない。精農家と言われても現代の除草剤使用農業に比べたら粗放も粗放だったのかもしれない。草だらけ。
 機械を使っても膝がおかしくなるのに人力だけの作業は段違いに過酷と思えるが、人力だけなので痛めなかったのだろうか。


コメント
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