玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

人力でも頭を使った

2019-09-04 02:28:23 | 知識
 畑仕事はコマゴマとしてとても気楽にできない。父を見ていればわかる。ボケないためとか、かえって体を痛めている。お医者さんでもらった足腰の関節の痛みを和らげる湿布薬をはって畑作業だ。
 一粒万倍ではないが数倍ぐらいにはなって嬉しいのだろう。極極極小面積を丹念に、一円にもならないのに。どうせなら無農薬無肥料でやれば良いのに。収穫全滅でも趣味だから良いのでは。その時は技術の無さ、とあきらめられないのだろうか。

 江戸時代の人力文化には冬の温泉が予定に入っている。月単位で温泉宿でゆっくりしたらしい。その間は家族が農作業をしていたのだろう。体も心も回復して、種などを買って帰ってまいた。お土産は喜ばれた。

 江戸時代の農家は作ったものは売れなければ先がない。趣味でやって農作業そのものを楽しむような余裕はない。それでは家族全員全力投入かと思うと温泉でゆっくりしている。
 農作業は人力とは言え現代人が想像するよりはるかに軽い仕事で、ぐうんと合理的だったのかもしれない。

 父の畑仕事は農薬で虫や病気を抑え、化学肥料で成長促進多収なのであきらめるのが嫌いな父にピッタリだが関節の痛みは消えない。どこかへ行くから畑を頼む、と言われてもどうやったら良いのかわからないので行くときは雑草地になるのを予定されないとこまる。

 ものぐさ人間のほうはこのごろ数秒だが正座できるようになった。寝る前、仰向けになって力を抜いて踵を尻につける、足を真っすぐに伸ばして踵を押し出すように力を入れる、の繰り返しで正座を数秒間できるようになった。寝ていて解決に向かっている。正座はすぐに痛くなるので数秒でやめる、また数分たって正座数秒を繰り返し二三回やっている。
 このような気楽なことがなぜできないのだろう。父の頼るものは薬、自分の頭ではない。

 現代化学の便利な生産品がない江戸時代のほうがずいぶん健康的に思える。
 江戸時代の農作業は想像以上に気楽にやったのかもしれない。ものぐさ人間の経験では、気楽にやるには満足度も高くないとできないことになるが、満足させる技術があれば気楽にやれる。

 人力文化の中での
  高度な農業技術

ご先祖はどのようにそれを磨いたのか。


コメント
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