http://diamond.jp/articles/-/117973
● 若手で最も勢いのある女優の 突然の引退劇
2011年当時、まだ幼かった筆者の娘が、 初めて夢中になって観たヒーローもののTV番組が『 仮面ライダーフォーゼ』だった。筆者も付き合って観ていたが、 大人の目から見て、断然目を引いたのが、主人公の福士蒼汰と、 ヒロインだった清水富美加だった。
彼女は、演技力と存在感と愛嬌を併せ持っており、印象深かった。 その後、NHKの朝の連続ドラマでブレイクし、 さまざまなドラマや映画に出て、彼女はどんどん「売れっ子」 になっていった。ネットや雑誌で見かけることが多くなり、 筆者も家族と「あの、フォーゼに出てた子も人気でたねー」 などと話していた。
そんな、若手で最も勢いのある女優の1人である彼女が、先日、 突然芸能界を引退し、 幸福の科学に出家するというニュースを聞いたときには、 それほど熱心なファンではない筆者もかなり驚いた。
その後、幸福の科学側から、 事務所の彼女に対する待遇に問題のあったこと、 それにより彼女は心身ともにすり減り、 芸能界を引退する決意を固めたことが発表された。
一方で、事務所側も反論し、 マネージャーがこまめにコミュニケーションをとっていたことや、 他の所属タレントと比較しても、 ひどい扱いなどしていないことを主張している。
メディアやTV番組では、このことが取りざたされ、 事務所が悪い、露出の多いグラビアの仕事のせいだ、 人肉を食べる役柄を演じなくてはいけなかったせいだ、 給料が安すぎたせいだ、といったコメントが出たり、 宗教にだまされている、 芸能界がこんなところだとわかっているのに甘い、 辞めることで多くの人に迷惑をかけることをわかってるのか、 などという書き込みがネットでみられるようになり、 毀誉褒貶が相半ばする状態となっている。
● 電通過労死事件と共通する マネジメントの失敗
これらの真偽のほどは、 よほど近い関係者でなければわからないだろうし、彼女の心身が、 本当にどの程度傷ついていたかを知る由もない。だから、 外側からは、彼女自身が言葉を発しているツイッターが、 一番真実に近いと信じるしかないだろう。
その彼女が2月12日に投稿したツイッターには、こうあった。
力ある大人の怖い部分を見たら
夢ある若者はニコニコしながら
全てに頷くようになる。
そんな中ですり減って行く心を
守ってくれようとしたのは
事務所じゃなかった。
前半は抽象的で、具体的に何が起こったのかはわからないが、 後半部分の主旨はクリアだ。彼女は(少なくとも主観的には)「 事務所は自分を守ってくれようとしなかった」と言っている。
このことから明らかなのは、会社組織(事務所)が社員(清水) のマネジメントに失敗した、ということだ。 ここでいうマネジメントとは、本人の能力を最大限に発揮させ、 成長の機会を与え、本人も事務所側にとってもプラスになるWin -Winの関係を築くことを意味する。
そして少なくともこの「マネジメントの失敗」 という点については、 電通女子社員の過労自殺事件と共通している。 電通も自殺した社員を守れなかった。
もちろん、清水の所属事務所は、 そんなつもりはなかったのだろう。 反論会見でも話していたように、 彼らなりのケアをしてきたのだとは思う。だが、残念ながら、 彼女はそう思ってはいない。
また彼女が宗教に洗脳されているのだ、 というコメントもあるようだが、 たとえそうだとしても彼女自身があのようなツイートをする時点で 、 事務所のマネジメントはうまくいかなかったという解釈する以外な い。
自殺した電通の社員も、 上司からのパワハラやブラックな現状をツイートしていたが、 組織は彼女の発するシグナルを受け止めることはできなかった。
通常、それは最も近い同僚や上司が、気づくべきことである。 電通ならば直属の上司や同じ部署の同僚、 清水のケースならばマネージャーがそうだろう。
なぜ気づけなかったのか。それは一言でいえば、たぶん「 コミュニケーション不足」に尽きる。清水の場合、 毎週必ずマネージャーがミーティングをして話を聞いていたという 。だが、清水のツイートからわかるように、 彼女はそこでは本音を話していなかった。
● 人は受け入れられると 深く内省できる
一般論になるが、「本当に人の話を聞く」ことは、 実は相当難しい。相手の本音を知るためには、 相手のことを否定せず、相手の言葉を全て咀嚼し、 いわんとすることを一生懸命に聞く姿勢が必要だ。 相手の言っていることそのものを理解しようとすることはもちろん だが、相手が「なぜ」そのようなことを言っているかも、 理解しようとするべきである。
この方法は、 心理臨床家がクライアントに面接を行なうのと似ている。 余計な口出しはせずに、 クライアントの語りを全て受け入れる方法である。
筆者らが行なった研究では、 クライアントの語りを全て受け入れると、 かえって語りが少なくなり、 考え込む時間が多くなることがわかっている。 自分は本当は何を言いたいのか、どのように言いたいのかを考え、 より自分自身の深層心理を知るようになるのだ。
その気づきが、より深いコミュニケーションにつながる。 ここに挙げた人たちが求めていたのは、 そのようなコミュニケーションだったのだと、筆者には思える。
もちろん、 こういったコミュニケーションには時間も手間もかかる。 ただでさえ忙しい上司が部下一人一人に対して、 ここまでのケアができるか、という問題もあるだろう。
だが、清水の事務所は、彼女の人気からすれば、 彼女をケアできるだけの人的資源を割く価値は十分にあっただろう し、電通においては、 自殺するほど追い詰められている社員に対しては、 何を差し置いてもそれをやるべきだったであろう。
そしてこのことは、いまの日本の組織の経営陣にとって、 ひとつの課題を示しているように思える。それは、 様々な個性や感受性をもった社員がいるなかで、 紋切り型の扱いをするのではなく、社員同士がいかに「深い」 コミュニケーションをとり、 助け合えるようにするかという課題だ。いま、 それを真剣に考えるべき時が来ているのではないだろうか。
渡部 幹