ジダンの頭突き問題は依然として盛り上がっているようて、FIFAの事情聴取や国内の同情論(こちら参照、マテラッティの過去のファウルの映像は見ものではあります)もあります。
しかし、侮辱行為があったとしても、それが文化的無理解(過失)によるものか故意によるものかはわかりませんし、結局は客観的な部分で判断するしかなく、「手(頭)を出した方が負け」なわけです。
たとえば将来タイがWCに出場してその中に僧侶の選手がいた場合、ペナルティで倒した相手に擬似的な信頼の情を示すために頭を撫でたりする行為は、仏教国タイにおいては大いなる侮辱になるわけですが、国別・文化別・宗教別に「この人にこうしたらファウル」というのでは試合の進行ができなくなってしまいます。
一方で日本では北朝鮮のミサイル発射問題に関連しての敵地先制攻撃が議論になっています。
「先制でない」と反論 安倍氏、敵基地攻撃能力で
(2006年 7月12日 (水) 19:09 共同通信)
安倍晋三官房長官は12日午後の記者会見で、北朝鮮のミサイル発射を受けた敵基地攻撃能力保有の検討に対し、韓国などが反発していることについて「先制攻撃論に立って議論しているかのような批判があるが全く当たらない。何もない空中を棒でたたいているような感じを受ける」と強く反論した。
安倍氏は敵基地攻撃について「他の手段がない場合に限り、ミサイルなどの基地をたたくことは自衛権の範囲に含まれる」と従来の政府見解を説明。敵基地攻撃が許されるのは「(日本に対する武力)攻撃がなされた場合を条件としている」とし、「現実問題として(敵ミサイルが)着弾し、被害発生後の可能性が高くなる」と指摘した。
その上で「日米が共同対処していく上で攻撃能力を持つべきかどうか常に研究する必要はある」と重ねて強調した。
何を持って「日本に対する武力攻撃」「他の手段がない」とするのか、という判断は難しいとんじゃないでしょうか。
また、軍事問題の戦術的なものはわかりませんが、素人考えでは、敵基地攻撃というのも航空機で空爆しにいくというのは第三国の領空を通過しないで可能かとか即応性があるのか、じゃあ攻撃型空母や弾道ミサイルを持つというのは国際世論上も(そもそも憲法上も)無理だろうと思うので、どこまで現実的なのかとも思います。
また、国際ルール上は「先に手を出した方が悪い」ですから、先制攻撃というのもないと思います。
アメリカですら一応「予防的先制攻撃」なる理論を主張し国際世論を味方につける手続きを形なりには踏もうとしてました(もっともLe Mondeに「それじゃ真珠湾攻撃と同じ」と揶揄されたそうですが(こちら参照))
なので、たとえば北朝鮮(なり他国)が核弾頭を積んだ弾道ミサイルを日本に向けて発射するとういう確証があるとしても、先制攻撃は、国際世論を無視してのそれこそ退場覚悟の行為になるわけです(イスラエルはそうやって年中戦争してますね)。
そして、大概において退場覚悟の行為はその時点の自己評価は「英雄的行為」でも周囲や歴史的評価は「愚行」というものがほとんどなのではないでしょうか。
また反撃としての対基地攻撃にしても、国際世論を味方につけなければ得策ではないと思います(逆にミサイルを打ち込まれても我慢していろとまでは言われないと思いますし)。
となると、結局、国際世論をどう味方につけるかが大事なわけですから、せっかく北朝鮮が自ら悪者になっている中で、安全保障上の懸念を強く示す意味があるとしても「対基地攻撃」発言は逆効果のように思います。
作戦計画だけ内部で用意しておけばいいと思うんですけどね(計画を立てると実行したくなっちゃうという統制のレベルだとしたらそっちのほうが問題w)