一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『ダーウィンの悪夢』

2007-01-05 | キネマ
『ダーウィンの悪夢』を観て来ました。

ビクトリア湖畔にあるタンザニア第二の都市ムワンベは、ナイルパーチという白身魚の加工業(切り身が冷凍食材としてヨーロッパや日本にむけ大型ジェット輸送機で輸出されている)で栄えている。しかし、ナイルパーチ自身は外来の肉食魚でビクトリア湖の生態系を破壊しているとともに、食品加工業自体も飢餓・貧困・HIV感染のまん延・武力紛争の続発といったアフリカのかかえる問題を解決する糸口になっていない、というような問題提起のドキュメンタリーです。


事前にダーウィンの悪夢についてのいろいろ経由で反対意見なども見たのですが、結論から言うと、タンザニアの抱える問題、または所得・賃金水準の格差をベースにした産業のもたらす地域経済へのゆがみの一つの例として提示したということには意味はあると思うのですが、それがタンザニア政府とかナイルパーチをすべての問題の元凶にしてしまうスタンスには疑問が残ります。

監督は、最終的にはナイルパ-チを空輸する飛行機が、ヨーロッパからの荷として武器弾薬を密輸しているのではというところに焦点をあてているのですが、かなり誘導的なインタビューをしても、そこまでは解明できていません。
確かにムワンベの空港のチェックはいい加減そうなのですが、武器弾薬を運んだとしてそこからの輸送ルートはどうなのか、とか、ヨーロッパからの途中でアンゴラなどで荷おろししているとしても、それはアフリカ(とヨーロッパ)の問題であってタンザニアやナイルパーチの問題ではないはずです(映画でとりあげられているストリート・チルドレンを水産加工場が雇えば、今度は児童労働と言われるでしょうし・・・)。

ナイルパーチ自体は地元に数千人の雇用をもたらしているわけですし、水産加工業者が放流した訳でもなく固有の生態系を破壊したのは結果であって、水産業がなければ生態系もムワンベの経済ももっと悲惨な結果になっていたはずです。


インタビューのカットを思わせぶりにつないだ編集もけれんが目立ってかえって説得力を弱めてしまっています。

あまり知られていない事象についての問題提起としては(特にアフリカの事情が伝わってきにくい日本においては)意味があると思うのですが、それ以上の作品ではないように思いました。



もっとも、所得格差を利用した「グローバル経済」下の企業活動が、規制の緩い開発途上国での環境破壊や独裁政権への資金供給による人権抑圧に荷担するという問題は意識しなければなりません。

ただ、魚を冷凍加工して空輸してもペイするという理由(よほどの低賃金and/or高い市場価格?)は今ひとつ実感がわかないのですが、映画に出てくるロシア人の輸送機クルーを見るとパイロットという職種自体がコモディティ化(長距離トラックの運転手類似の生活をしている)しており、多分この荷をヨーロッパで積み降ろしして食卓に届くまで沢山の低賃金外国人(当該国にとって、また日本においては非正規雇用の)労働力に依存しているであろうことを思うと、構造的にはアフリカだけの問題ではないのかもしれません。

逆にそこまで各国の経済に組み込まれているメカニズムが果たして「問題」なのか、という疑問すら湧いてしまいます。


うがった見方をすれば監督は「悲惨なアフリカを救う正義感に溢れた白人」という立ち位置に立っていて、本作を絶賛する人にも同様のナイーブさを感じてしまいます。


似たような問題は日本企業が進出している中国における製造業とか、マクドナルドで出る紙製のトレーを製造しているジャマイカ(数年前はそうでした)などでも起きています。
先日Dellでパソコンを買ったところ、(発信元は本社のある川崎なのですが)明らかに大連あたりにあるコールセンターから転送しているとおぼしき中国語訛りで注文の確認の電話がかかってきました。

否応なく私達はそういうメカニズムの中に組み込まれています。

そういう世の中で、企業として、また個人としてどうあるべきなのかを「タンザニアに生まれなくて良かった」などと楽にならずに、常に考えることが大事なのでしょう。


その意味では、いいきっかけの映画ではあります。
コメント (2)
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