一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

法的紛争を避けるためのポイント(『民事訴訟実務と制度の焦点』つづき)

2007-01-10 | 乱読日記

昨日とりあげた『民事訴訟実務と制度の焦点―実務家、研究者、法科大学院生と市民のために』に、予防法学=法的紛争を避けるための知識の習得についてふれた一章があります(p.668 第2部 第7章 市民・メディアと民事裁判 二、予防法学)。

筆者曰く

日本の平均的な市民がこれだけのことを具体的に理解していたら、おそらく、昨年度における東京地裁、千葉地裁の民事新受事件のうちシリアスな争いを含むものの少なくとも四分の一は、あるいは三分の一はは、提起されることがなかったのではないかと思う。

というだけあり、参考になりますのでここに転載します(筆者からも著作権侵害とは言われないと思いますので。)。

①  契約の方法と効力一般。最低限、重要な条項の説明を書面に基づいて受け、署名押印するに当たっては十分に考え、場合によっては事前に信頼のおける年長者と相談すべきこと。
 気がせく場合でも、契約をあせらないこと、ことに、契約すると同時に大金を支払うような場合にはその前によく考えること。

② 署名押印を行ったり、人に名義、名前を貸したりすれば、必ず何らかの法的責任を問われるおそれがあること。

③ 実際の約束は書面と異なっていたというたぐいの弁解は、原則として通用しないこと。それが現代の世界、社会の共通の約束事であること。

④ 書面が作成されていない約束について法的な手段に訴えるのは難しいこと。

⑤ 人の言葉を信用するのは、基本的には自分の責任によること。言葉を換えれば、良識のある大人であれば、「だまされた」という言葉を安易に口にすべきではないこと。これは、相手が親族、知人等親しい人間の場合でも同様である(なお、右は、法的なレベルにおいて「だまされるほうが悪い」という趣旨ではない。だまされたという言葉を安易に用いない心組みが紛争を未然に防ぐという趣旨である)。

⑥ もうけ話は非常に危険なものであり、あとから何かあって紛争となった場合には、自分の過失もまた問題にされること。

⑦ 連帯保証契約の意味、ことに、主債務者と完全に同等の責任があること。好意でしてあげたのに事後の説明や通知が不十分でけしからんといった抗議、不満は、債権者に対する関係では原則として通用しないこと。

⑧ 抵当権設定契約の意味。

⑨ 高金利業者と取引することの危険性。

⑩ 交通事故は、加害者になるのは他人と自分を傷つけることであり、被害者になるのは大きな苦痛と損失を引き受けることであり、したがって、これを可能な限り避けるような運転、歩行をするよう日常的に注意すべきこと。
 ことに、自転車は、自動車からは発見しにくく、歩行者にとっては意外に危険な乗物であるのを認識すること(自動二輪車については言うまでもない)。
 任意保険に加入していない場合には、事故があれば自分のすべてを投げ出して償う覚悟が必要であること。
 残念ながら、運転者の中には、他人に対する配慮など全く行わないような者も存在すること(自分のほうからまず注意して運転、歩行すべきこと)。

⑪ 結婚と子育ては、本当は、運転よりもはるかに難しい、免許があってよいくらいの「事業」であること。
 結婚相手を選ぶ行為は、原則として、基本的には、第一次的には、誰でもない自分の責任であること(これも、そのような心組みがあれば不幸な結婚を避けられるという趣旨)。
 子供に対しては絶対の責任があること。
 どんなことがあっても、離婚する場合でも、最低限の理性あるいは基本的な思いやりを失わないで話し合いのできる相手であるかどうかを、また、自分にもそれだけの能力があるかを、婚約する前に、胸に手を置いて考え直してみること。
 離婚する場合には、収入の多いほうの配偶者は、相当多額の金銭給付を行わなければならない場合が多いこと。
 事実婚に対する偏見を除き、法律婚と並ぶ一つの過渡的で合理的な選択であるとの理解をもつこと。
 不貞については基本的に配偶者間の問題であること。

⑫ 政治家や公務員等一定の権力、権限を有する者は、当然のことながら、適正な手続きにしたがって仕事をしなければならないこと。なお、事業を行う者についても同様であること。
 条例で決められる事項には限りがあり、それが法律に違反してはならないし、また、基本的人権にも配慮しなければならないこと。
 行政の開放性、透明性は、それが信頼を獲得するための第一条件であること。
 権力は、小さなものであっても濫用してはならないこと。

⑬ 自分が帰属している組織のあり方、しきたりを客観的に見詰める目を持つべきこと。
 自分の組織が絶対のものであり、その論理が外の世界でもそのままに通用するとの思い込みを持たないこと。
 それらを超える普遍的な原理が存在すること、そして、それぞれの個人の尊厳がその中核にあること。


自動車(事故)と結婚についてはかなり長くコメントされていますが、本書の中でも人身損害賠償においては損害の完全な回復が現実的には難しいこと、離婚訴訟は他の民事訴訟と比べて主張立証が混乱し当事者間も感情的になることが多いとされており、その反映かと思います。


企業においても①②③④⑦⑧⑫⑬など(ってほとんど2/3ですがw)は十分留意すべきですね。

コメント
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