ユーリャさんのブログに与文明同行做可愛的上海人という上海でのマナー向上運動についてのエントリを見て思ったこと。
道端で立ちションしたり、痰吐いたり、食ったものはその辺に散らかして信号なんかも守らない。。。いまの中国のマナーはそのあたりらしいです。昭和30年ごろの日本の感じでしょうかね。
そうそう、僕の小さい頃はまだ駅には痰壷があり、また、鳥居のマーク(実際にはほとんど見たことはなかったけど)が「立小便禁止」を意味する共通のアイコンとして通じていました。
痰壷というのはそもそも路上に痰を吐かれると結核の伝染など公衆衛生上よろしくないということで設置されたもののようですが、この「痰を吐くのは禁止しないがせめてここに吐いてくれ」という発想はルールの徹底のためのひとつの面白い方法だと思います。
僕が高校生くらいのときまでは駅にも痰壷があったように思うのですが、物心ついたときから実際に痰壷を利用している人を見たことはありませんでした。「百発百中の名人」などという話を遠藤周作だかのエッセイで呼んだ記憶がある程度です。
つまり、痰壷は
痰壷がある以上、路上に吐くわけにはいかない
↓
痰壷をわざわざ狙って吐くのは面倒くさい(はずしたら格好悪い)
↓
痰壷を使う人が少なくなり、使うこと自体が格好悪くなる(僕の子供の頃の状況)
↓
痰壷を撤去しても痰を路上に吐く人がいなくなる
というメカニズムを通じて、痰吐きの習慣を抑止することができたわけです。
これはシンガポールなどでの罰則による強制よりもスマートですし、上の中国の「マナー向上運動」よりも効果的かもしれません。
このような「やるならここでやれ」という形での被害の局所化、公衆の福利の向上の試みはときどき見かけます。
公衆便所の設置などは立小便防止+公衆衛生の対策ですし(最近はコンビニのトイレも開放されるようになりましたね)、アムステルダムにおけるエイズ感染防止のための麻薬常用者への注射器の配布なんかもそうですね。
このあたりはゲーム理論とか公共政策学などで取り上げられていて、もっとしゃれた名前がつけられているのかもしれませんが。
最近何かと「不祥事」や「あってはならない」ことに対する非難と厳罰化を求める声が大きいですが、見方を変えてこのような「タンツボ的」な対応策を考えてみてもいいのではないでしょうか。
たとえば
<談合許容入札>
公共工事のうち1割程度については、地元経済振興のために最低落札価格を2割程度上乗せした上で地元企業の指名競争入札にするが談合を禁止しない。その代わり、他の工事での談合には厳罰で臨む。
→結局パイが少なければ談合をしても順番が回ってこなくなるので、ガチンコ勝負になるのでは?
<ダミー設置電車>
通勤電車にリアルな人形を設置し、それを触ろうがスカートの中を手鏡で覗こうがお咎めなしにする。
→「やらせ」じゃ興奮しない、などという言い分は通用しません。
<「残業代なし」経済特区>
この特区内では労働基準法の適用がない。ただし特区導入時の既存の労働契約には適用されない。
→それでも働きたいくらいの待遇とか魅力的な仕事を提供するか、または待遇が悪くても仕事がないよりはいい、という人を集めるのを前提にした仕事であれば成立するかもしれません。
でもこれが公平な制度であるためには上のただし書きが必須ですよね。
などなど。
とりあえず今日はこんなところで。