一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『平気でうそをつく人たち』

2008-01-10 | 乱読日記

草思社、民事再生法を申請 ベストセラー刊行の出版社
(2008年1月9日(水)18:52 共同通信)  

「間違いだらけのクルマ選び」シリーズや「声に出して読みたい日本語」など、ベストセラーの刊行で有名な出版社の草思社(東京、木谷東男社長)が9日、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。負債総額は約22億5000万円。同社によると、出版不況で書籍の売れ行きがふるわずベストセラーが出にくくなり、負債が経営を圧迫、資金繰りも悪化したという。草思社は68年に設立。

このニュースを夕方見て、なんとなく引っかかっていたのですが、友人から面白いと勧められてちょうど読み終えたばかりの『平気でうそをつく人たち-虚偽と邪悪の心理学』の出版元が当の草思社でした。

面白い本なのですが出版が1996年なので今の収益には貢献できなかったようです。 ぜひまた面白い本を出版して企業再生を果たしてもらいたいものです。
(素人考えでは出版社の経営資源といえば版権と編集者などの人的資源くらいだと思うのですが、民事再生ということは人材が離散せずにすんだ・またはスポンサーのあてがあるということなのでしょうか。)

さて本書はアメリカの心理学者による「人間の邪悪性」について語った本。
人間の「邪悪性」というのは価値評価をはさむので心理学の理論にはなじまないためか今まで研究対象になっていなかったが、著者の治療した患者の中に「邪悪」としか言い表せないような心理特性を持つ患者がいることに気づき、その類型化と原因分析を試みたのが本書です。

筆者は「邪悪」をつぎのように定義します。

邪悪性とは、ごく簡単に定義するならば、誤った完全自己像を防衛または保全する目的で、他者を破壊する政治的力を行使することである。

なので「邪悪な人」とは常習的犯罪者のようなものではなく、ごく普通の生活をしている人で、対面を気にし他人に善人だと思われることを望む反面、罪悪感や自責の念を持たず、他者をスケープゴートにして責任を転嫁するような人を言います。
そして、現象面としては子供のためと言いながら子供を精神的に追い詰めたりします。

著者は邪悪性の根源は(人間が本来持つ)怠惰とナルシシズムにあると分析します。

人間のものの考え方には一種の慣性が伴うものである。いったんある考え方が行動に移されると、それに対立するいかなる証拠をつきつけられようと、その行動は動きをとめようとしない。ものの考え方を変えることには相当の努力と苦しみが伴う。

自分自身を自分自身たらしめているのが、ものの考え方である。もしだれかが私のものの考え方に批判を加えるならば、私はそれを、わたし自身に対する批判と考えるはずである。私の意見が間違っていることがわかれば、私自身が間違っていたことになる。私の抱いている完全性という自己像が砕け散ってしまうのである。
(中略)
これは、単にその考えを改めるには努力を要するからというだけでなく、ナルシシズムにとらわれている個人や国家には、じぶんの考えやものの見方が間違っていると想像することすらできないからである。われわれは、表面的には、自分が絶対に正しいなどとは言わないようにしているが、心の奥底では、とくに自分が成功し、権力を持っていると思われるときには、自分はつねに正しいと考えてしまう。

このへん、会議のコツなどでよく言われる「意見に対する批判と個人への批判は分けないといけない」ということに通じますね。

さらに、軍隊や国家自体が「邪悪」な行動に出るきっかけも「怠惰とナルシシズム」にあると分析します。

・・・ところが邪悪な人間は自己批判に耐えることができない。したがって、邪悪な人間が何らかの形で攻撃的になるのは、自分が失敗したときである。これは集団にもあてはまることである。集団が失敗し、それが集団の自己批判をうながすようなことになると、集団のプライドや凝集性が損なわれる。そのため、国を問わず時代を問わず、集団の指導者はその集団が失敗したときには、外国人つまり「敵」にたいする憎しみをあおることによって集団の凝集性を高めようとするのが常である。

そしてこの特性は、警察や軍隊などの専門化された集団においてより発現しやすいといいます。

まず第一に、専門化した集団は、必然的に、自己強化的な集団特性を身につけるようになる。第二に、したがって専門化した集団は、とくにナルシシズムに傾きがちとなる。すなわち、自分たちの集団は、他に類を見ない正しい集団であり、ほかの同質的集団より優れていると思い込むようになる。第三に、社会全体が・・・専門化された役割を実行する特殊なタイプの人間を雇い入れるということがあげられる。

本書は問題提起の意味もこめて、大胆な推論をしていますが、ものの見方としては企業とか組織にも当てはまる部分も多く、示唆に富みます。
ある意味、ちょっと前の「自己責任」や最近の「格差」についての論調についても、「自己批判をしない精神」を感じます。


ひるがえって自分のことを考えると、私は怠惰については人後に落ちない自身がありますが、ナルシシズムとなると人並み以上という自覚は持っていません。
ただ、体系維持のために運動したりするのもナルシシズムの一種だとするなら、その辺も改め、今後はまた暴飲暴食不摂生を励行しないといけないかもしれません(笑)






コメント
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