一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

二者択一の陥穽

2010-08-06 | よしなしごと

日本のことかと思った。

A pain in the pocketbook

According to Ryan, the fundamental question would be, "Do we want to have an opportunity society with a safety net or a cradle-to-grave society with a welfare state?"  
ライアン氏(ウイスコンシン州下選出の共和党下院議員)は、つきつめれば「我々はセーフティネットつきのopportunity societyとゆりかごから墓場までの福祉国家のどちらを求めているか」という問いが根本だという。  

Put aside the fact that Republicans are voting en masse against a safety net -- even unemployment insurance -- for the "opportunity society," or that Democrats are a far remove from proposing a cradle-to-grave welfare state. The problem with Ryan's formulation is that it reflects an old, outmoded debate, not the reality facing us now.  
共和党が"opportunity society"のセーフティネットをひとまとめにして反対している--失業保険ですら--ことや、民主党がゆりかごから墓場までの福祉国家から遠く離れていることはひとまず置いたとしても、ライアン氏の定式化は、古く、時代遅れで、我々の置かれている現実と離れているという点で問題である。  

What we need is a fundamentally new strategy for the United States in this global economy. We've had a bipartisan consensus on embracing the transition to an information-and-service economy -- letting manufacturing be shipped abroad, ignoring unprecedented economic inequality and unleashing financial and corporate power. The result has been stagnant incomes for most Americans, rising insecurity, a declining middle class and the prospect of chronic high unemployment. The "opportunity society" offers less and less opportunity; the "welfare state" less and less welfare.  
我々にとって必要なのは、現在のグローバル経済における合衆国の抜本的に新しい戦略である。両党派とも、情報・サービス経済--製造業は海外に移転し、過去にはなかった経済格差に目をつぶり、金融機関や企業により大きな自由を認める--への移行を受け入れることには合意してきた。その結果が、大半のアメリカ国民の収入の伸び悩み、不安定性の増大、中流階級の減少と慢性的な高失業率である。"opportunity society"がもたらす機会(opportunity)は日に日に少なくなり、福祉国家のもたらす福祉は日に日に乏しくなっている。  

What we need is an adult debate addressing those things vital to a successful, high-wage economy with a broad middle class. This would surely include dramatic reforms and investments of our education system, modernizing our decrepit infrastructure for the 21st century, investing in science and technology, regulating finance, doing a forced march to recapture a lead in the emerging green industrial revolution, and ending the offshoring of trade policy to global corporations.  
我々に必要なのは、繁栄し、賃金の高い経済を多くの中産階級を維持しながら実現するために必要なことは何かについて、大人の議論をすることである。これは間違いなく教育システムの大幅な見直しと投資、老朽化したインフラの21世紀対応、科学技術への投資、金融規制、環境ビジネスの革新において主導権を取り戻すための、そして多国籍企業に対するオフショア貿易への規制を含む。
(※ 和訳は我流ですので正確性は保証しません(^^;) 

日本における与党と野党の景気刺激か財政再建かについての議論を思い起こさせます。 
二者択一の選択肢自体が現状に合わなくなっているにもかかわらず旧態依然とした議論の枠組みから抜け出せていないではないか、という批判は日本にも当てはまりますね。 
経済学の世界でも、依然として「○○派」という(自称?レッテル貼り?)のがあるようですし、議論だけをするなら論理の立脚点が明確なほうがやりやすいので、自然と「AとBの優劣」という議論になりがちなのかもしれません。  

達成すべき目的を合意したうえで、さまざまな施策を試行錯誤しながら検証していくというやり方は、入り口の議論に時間をかけすぎたり、逆に一度始めた方針が間違っていたと思っても意地になって続けるよりは現実的だと思うのですが、不安定な政権だとそもそもの目的が玉虫色だったり、悪い結果が出るたびに揚げ足取りにあって試行錯誤ならぬ迷走に陥ってしまうので、今の日本の政治情勢を考えると難しそうでもあります。
今の日本で手っ取り早く政権の安定をもたらす方策としては民主・自民の「大連立」という手がありますが、権力闘争やポスト争いをせずに経済と財政の建て直しにfocusした政権運営ができれば、という条件付ですね。


ただ、記事の最後の段落の"a successful, high-wage economy with a broad middle class"という目標は日本についても同様だし、しかも日本はつい20年前まではそれを実現していたわけですから、アメリカよりもゴールに近いところにいると思えば少しは気が休まるかもしれません。 
もっともアメリカと比べて少子高齢化が進んでいるので、そちらのハードルは高くなりますけど。

シンガポールや中国が上の目標に向けて比較的安定的な経済運営ができているのも、主義主張レベルの議論をする手間を省いていることが大きな理由になっているかもしれません。  

日本でいえば「1950年体制」がそのスタイルに近いですが、当時戦後復興・経済成長というわかりやすい目標(「坂の上の雲」)を目指すのと違い、五里霧中の雲海からどうやって無事に抜け出すかという状況では、政治家と官僚の従来の役割分担は若干変えたほうがいいと思います。
もっともそれは細かいところ(にこそ)政治家が首を突っ込むという今の「政治主導」ではなく、政治には試行錯誤・仮説検証の舵取り(go/stopの判断)、官僚には仮説の提示とその実行、検証可能なデータの収集・分析が求められるのではないかと思いますし、本来それは官僚や行政機関の得意技のはずですよね。 

 

コメント
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