同じ山田風太郎の『同日同刻―太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日』の後に断続的に読んだまま積読になっていたのを再読。
戦時中、医学部を目指し東京でアルバイトをしながら浪人生活をしていた山田風太郎の日記。
『戦中派虫けら日記』が昭和17年~19年、浪人から医学生になる一方で戦況が悪化に転じていく頃を、『戦中派不戦日記』は昭和20年、東京大空襲から終戦、そして戦後までの日記になっています。
当時の庶民の暮らしや雰囲気、一学生にも伝わってくる戦況の噂、そして人生の悩みなどが、青年山田風太郎の世の中を見る少し覚めたまなざしから描かれます。
それでも熱く愛国心などを語っているところこそ、時代背景を映し出しているともいえます。
日記に敗戦の可能性が始めて触れられているのが昭和19年5月7日。
既に戦況は悪化する中で、インパール作戦が3月に開始され、連合軍のノルマンディー上陸を6月に控えた時期です。 ただ、その根拠は物資の不足です。
政府のやり方がまずいために国民が苦しむと国民が考えている間はまだ希望が失われてはいない。手腕如何にかかわらず、政府にそれは不可能であると考えるようになったら恐るべきことである。現在の食糧問題に関してはこの傾向に移りつつある。日本は敗北するのではないか。
昭和20年になると、東京大空襲の様子を、逃げ惑いながらも冷静な観察眼で描いています。
そして敗戦。
学生達の中で、山田風太郎の気持ちはは冷静な観察者と敗戦国の若者の間を行き来します。
余は日本人なり。天皇に対する敬意に於いて一般日本人に劣るとは思わず。しかるに日本精神を讃仰する友人の論の矢表に立ちて、つねにこれに対する破目に陥るは何ぞや。
(昭和20年9月22日)
また、この本は日記を一切の修正なく書籍にしたので、端々にこういうリアリティがあります。
解剖実習室に屍体二十余来る。すべて上野駅頭の餓死者なり。それでもまだ「女」を探して失笑す。
(昭和20年11月28日)
そして占領軍になじんでいく日本人について、このように観察しています。
明らかに、進駐軍を見得る土地の日本の民衆はアメリカ兵に参りつつある。軍規の厳正なこと、機械化の大規模なこと、物資の潤沢なことよりも、アメリカ兵の明朗なことと親切なこととあっさりしていることに参りつつある。
吾々は、この民衆を嘲笑したい。ただ時勢のままに動く愚衆の波を笑いたい。--しかし笑うことは出来ない。この愚衆こそ、日本人そのものだからである。吾々はたしかに米国人に劣っていることを素直に認める必要がある。それは主として社会的訓練であり、公衆道徳である。
本音を吐くと、天皇制を護るというわれわれ友人のだれ一人も、天皇制以外の政体というものを知らない。従って天皇制が他に勝っているゆえんを、真に万人に納得出来る説明の出来る者がない。それは過去の教育から来た信仰と、占領軍に対する反抗に過ぎないところがある。
(昭和20年12月1日)
貴重な記録であるとともに、青年山田風太郎を追体験できる本です。
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